【ブラジルサッカー通信<8>】
サントスでペレの犬の主治医に会う
<文・写真 手島直幸>
◆バスで港町サントスへ
サントスでサッカーの試合を見たかった。仕事仲間の富田さんに「サントスのサッカーならこの人」という人を紹介していただいた。サンパウロ(地下鉄南北線終点のジャバクアラ)からバスで1時間、サントスに着く。バスターミナルからはタクシーを使うようにいわれていたが、雨もあがっていたので、歩くことにした。人通りも少ない街を迷いながら、待ち合わせ場所まで40分歩いた。静かで住みやすそうな街だ。
◆サントスの赤ひげ
待ち合わせ場所は日の丸にNipponの看板の小さな動物診療所だった。小磯和夫(75歳)さんは犬の診察中でだった。待合室で診察を待っている犬を見ていると目が合った。「どこ悪いの?」
先生がようやく手の空いたので話を聞く。
「昔の話だけど貧しい少女が死にかかった子猫を連れてきた。治療したのだが、娘はお金がないのであと払いにしてくれというのでそのまま帰した。1ヵ月ほどして元気になった猫を連れてきて、ひざまずいて感謝してくれた。わずかなお金をだして、今はこれしかないけど、毎月払いに来るので許してくれという。お金は受けとらず。そのお金で猫に何か食わせてやれと言った」
この話をもとにした記事が、日本の雑誌に「サントスの赤ひげは動物の救いの神」と紹介されたそうだ。
◆飼い犬主治医の語るペレの性格
小磯さんは1959年日大獣医学部を卒業し、1961年にサントスに単身、移民でやってきた。大きな動物病院につとめていたとき、ペレの飼い犬の命を救ってあげたことがある。そのときペレはサントスFCの選手だった。
以来50年ちかく、ペレは犬のことはなんでも、赤ひげ先生に相談する。ペレはあるとき飼い犬に「カズオ」という名前をつけた。ペレが出張中のNYから電話をかけてきたことがある。
ペレ「カズオ、栄養剤はいらないか?」
小磯「俺は元気だ。栄養剤なんかいらん」
ペレ「犬のカズオのことなんだけど(笑)」
ペレは1度も小磯さんにお金を払ったことがない。けちだという。金持ちのペレも貧しい少女も同じように「払えるときでいい」というのはブラジルらしくて面白い。
小磯さんの父親は東京高師に学んでいたときサッカーをやっていたという。(小磯さんの記憶では、東京高師が第1回カレッジリーグに優勝した1925年ころのことだというがはっきりしない)。引退試合のためペレが来日した1972年にはまだ元気で八王子にいたので、ペレにお願いして宿泊先のホテルで会ってもらった。父親が亡くなったとあと、そのとき撮った写真をペレに見せると、おおぜいの写っているなかから、ペレは正確に父親を見つけ出した。
ペレは記憶力も超一流ということだ。
◆サントスFCの注目選手
近くのレストランで小磯さんと昼食をともにしながら、サッカー談義をした。「サントス時代のペレはよくみていた。腰を落として重心を上下動しないので、あのようなプレーができる」「ロビーニョはペレが見いだした」「現在の10番マドソンもなかなか見どころがある」「カズがいたときにはいつも声をかけていた。最後の試合のときに“日本代表として帰ってこい”という垂れ幕を作って応援した」「悩んでいたカズにサンバのリズムが必要だと話したことがある」。小磯さんが、カズダンスの生みの親なのかもしれない。
◆サントスのスタジアムはヨーロッパ風
昼食後、スタジアムに向かった。小磯さんはサントスFCのソシオ会員であり、その会員席に招待していただいた。2万人収容(サンパウロのパカエンブーの半分以下)でこじんまりしている。観客席がピッチに接し、透明なアクリル板(強化ガラスかもしれない)で隔てられている。2階席に座るとすぐ下にタッチラインがある。
試合は、現在首位独走中のパルメイラス対13位のサントス。試合前「あまり勝ち目はない」といっていたが、先制点はサントスだった。立ち上がって大声を上げ熱狂する。サントスに不利なフラッグをあげる線審には痛烈なヤジを飛ばす。タッチラインぎわでパルメイラスの選手がボールを奪うとブーイングする。線審にも選手にも声は届いていると感じる。
しかし、その後3点を失い敗戦。「サントスはバックスの選手が弱い」「才能あるマジソンを活かせない」「貧乏なので思うように選手を集められない」などなど、試合後も熱くサントスを語る「赤ひげ先生」は、ほんもののサンチェスタだ。 |