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◆フリーキック


日本プロサッカーの第一期を支えたオランダ人コーチ

フランツ・ファン・バルコム氏インタビュー  (1/2) 
            
(文・写真 中川桜、2004/9/20)

 

 フランツ・ファン・バルコム氏は、1973年日本リーグ時代の読売クラブに、コーチとして呼ばれ、来日。1994年には、新潟県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブン(現アルビレックス新潟)に招聘された。現在は、故郷オランダに戻り、悠悠自適の生活を送っている。
 2004年3月、オランダでのサッカー観戦の旅の途中、私は、アルビレックス創生記の秘話を探るべく、オランダの田舎町スケン・オプ・ゲール(Schen Op Geul)に、バルコム氏(写真)を訪ねた。
バルコム氏

昼間働き、夜練習。あの頃はみんな一生懸命だった

−初めて行ったときの新潟の印象はどんなでしたか?

山や川があって、すごくすてきなところだと思ったよ。サッカーについては、環境も整っていなかったし、最初はレベルもすごく低かった。
東京の人たちからは、『なんで新潟になんかに行くんだ?』と言われたくらいだ。でも、牛木さんがいい友達で、『いっしょに新潟に行こう、一緒にいいチームを作ろう』と言って誘ってくれたんだ。

−牛木先生にとって新潟は故郷なんです。

ああ、よく知っているよ。

−当時は練習場がなくて、河川敷を使おうかといった話もあったと聞いてますが?

そんな話もあったかもしれない。しかし、だからといって、困ったという思いはなかった。つらかったという思い出もない。なぜなら、選手たちが強いモチベーションを持っていたからね。
選手たちは精神面がすごく強くて、みんな一生懸命練習する姿勢があったんだ。昼間働いて疲れてるのに、夜練習するというハードなスケジュールをこなしていた。
私はそれまで、日本で一番強いチームだった読売クラブ(現東京ヴェルディ1969)から新潟に行ったから、確かに選手も練習場も比べものにならなかった。でも、新潟イレブンの選手たちはやる気に満ちあふれていた。だから、サッカーのレベルが低いとか、練習場がないなんてことは、まったく苦にはならなかったよ。

−現在のアルビレックスの監督、反町康治さんがJ2で優勝した直後のインタビューで練習場がないと不満を述べている記事を読みましたが。

なんだと? 私たちは駐車場でも練習したんだぞ。照明の代わりに、車のライトをつけて練習したり、ミーティングをした。なーに言ってんだ。

−本当に、何も困ることはなかったのですか?

知事の平山さん(平山征夫新潟県知事)やサッカー協会の沢村さん(沢村哲郎新潟県サッカー協会理事長)たちから、いろいろと助けをもらった。沢村さんは、牛木さんと一緒になって、私を新潟にひっぱってきた人だ。コーチの若杉さん(現アルビレックス新潟育成部長)にもずいぶん助けてもらった。
新潟西高校の堀井先生(文大、現新潟経営大学サッカー部総監督)は、練習場がないときに、自分の勤めている高校のグラウンドを使え、と言ってくれた。彼は今、何してるんだ? そうか、大学の先生になったのか。彼は新潟のサッカーについて、とてもよく知っていて、一緒に新潟のサッカーについて話すことができた。新潟イレブンの多くの選手は堀井さんの教え子だった。家に招待されたり、他の人に紹介してくれたり、とてもいい友人になった。子どもたちの親御さんも協力的だった。

−バルコムさんは、日本最初のクラブチームだった読売クラブ(読売ヴェルディの前身)にコーチとして来日されて、日本でたくさんのサッカー選手を育成されましたよね。新潟ではどのように?

午前中は新潟イレブンでやって、夜は12歳以下の子どもを指導した。今、ここにいるヒロシもそのひとりだ。ヒロシは、中学の卒業前にオランダにやってきた。ケルクラーレのローダというサッカーチームのユースに所属していて、この家から通っているんだよ。
そういえば、柳さんという音楽家がいて、そのお嬢さんは私が教えた唯一の女の子だった。とっても上手だったな。こういう交流は、東京ではなかったことだったね。

 

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