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ビバ!サッカー研究会・公式サイト 2006年12月9日

サッカーマガジンとの40年
〜連載打ち切りの牛木素吉郎先生にきく〜 (1/4)

                                 (聞き手) 近藤しづく

 サッカーマガジンを開けばいつもそこにあった牛木素吉郎先生の名物コラム「ビバ!サッカー」が、2006年10月で打ち切られました。日本最初のサッカー専門商業誌に、1966年の創刊以来、書き続けてこられた牛木先生に「サッカーマガジン」の40年間を振り返っていただきました。


連載打ち切りの感慨

★種をまいた人、稲を刈る人

―― 「サッカーマガジン」の連載をやめるとき、どういうお気持ちでしたか?

牛木 編集長が代わって、新しい編集長から「おうかがいして、お会いしたい」と電話があったとき、「連載打ち切りだな」と予想はつきました。というのは「ぼくの方から編集部へ行くよ」といったら、「いや、私のほうからうかがいます」という答えだったから(笑い)。以前、1ページのコラムを半ページに減らされたときも、当時の編集長が同じ応対だった。

 ベースボールマガジン社が、1966年にサッカー専門誌を創刊するにあたって、初代の編集長になることに決まった関谷勇さんから相談を受けました。それ以来、ともに歩み、ともに育ててきた思いがあります。今回、新しい編集長から、販売状況などを率直に説明されて、誌面刷新が必要な事情は理解しました。世代交代なども考えたのでしょうね。

 種をまく人と稲を刈る人は、必ずしも同じではない。Jリーグの設立にあたって種をまいた人はたくさんいたけれど、脚光を浴びた人は一握りで、多くは忘れられたりヘタすると首を切られていたりしている。こういったことは、どこの世界にもあることです。

 さびしかったのは、いまの編集部の人たちが、創刊当時からの雑誌の歴史を、ほとんど知らないようすだったことですね。むかしからサッカーが盛んで、当たり前のように雑誌が発行されてきたように思っているのではないか……。種をまいた当時の事情も知って欲しいと思います。

―― 最後のコラムに「さようなら、サッカーマガジン、また逢う日まで」と書かれたのは、どういう意味ですか?

牛木 「また逢う日まで」と書いたのは「まだ、ジャーナリスト生活から引退しないぞ!」という決意表明ですよ(笑い)。ほんとは、ドイツ・ワールドカップのあとだったので、ドイツ語の「Auf Wiedersehen!(さようなら)」を直訳してみただけですけど……。


記事を書くときに心がけたこと

★ 三つの方針

―― サッカーマガジンに記事を書くときに、心がけていたことがありますか?

牛木 三つのことを考えていました。
  第一に、読む人をイメージしながら書くこと。
  第二に、レベルを落とさず、やさしい表現で書くこと。
  第三に、権力に対して厳しく書くこと。
  この三点を心がけていました。

 一番目は、読者を意識して書かなければならないことです。自分が書きたいことを書くのはアマチュアである、プロのジャーナリストは、読む人が読みたいもの、あるいは読むべきものを取り上げて書かなければならない、と思っていました。

 二番目は、高いレベルの内容を、やさしく書くことです。新聞社の週刊誌編集長だった有名な人の言葉に「高校生に分かる内容を、中学生に分かる言葉で書く」というのがあります。ジャーナリズムの文章の基本だと思います。

 三番目の権力批判については、三つの原則を守りたいと思っていました。
  第一は、権力の座についたばかりの人を批判しないこと。まだ何もしていないのに、これからすることを非難することはできません。
  第二は、権力の座にある間は、遠慮なく批判すること。ジャーナリズムの側は、権力者ほどには十分には情報を持っていない。しかし、だからといって批判を控えては、権力の横暴を許すことになります。
  第三は、権力の座を降りた人を非難しないこと。誰しも功績と失策がある。やめたときには、功績を正当に評価して、歴史に残しておくべきである。これも、ある有名な政治記者の言葉だったと思います。

 ただ、三番目については、当時のサッカーマガジンには、子どもの読者がたくさんいたので、あまり直接的に批判して、個人攻撃のような誤解を招いたり、悪影響を与えてはいけないと思って、おとなの読者にだけ分かるようにオブラートに包んだ書き方をしました。そのために、批判されたサッカー協会のお偉方から「当てこすりのような、嫌味な書き方をするな」と怒られたこともあります(笑い)。

★後世の資料になるように

―― 古い記事をいま読んでみると、当時の事情を知らないために、分かりにくいものもありますね。

牛木 時評のようなコラムだったから、それは、ある程度は、やむをえないことですね。
  でも、ぼくは後世の人が読んでも資料として役に立つものにしようと考えて書いていました。ジャーナリズムの記録性を忘れないようにしたいと思っていました。
  ある人に、日本のサッカーの歴史を調べるとき、牛木さんのコラムが、いちばん役に立ったと言われたことがあります。なぜ役に立ったかというと、たくさんの情報の中から、その時点で、いちばん重要だと思われることを取り上げて書いてある。そして、記事の中に何年何月という日付が、ちゃんと入っている。だから便利だったというのです。

 日付については “文章は歴史に残すためのもの” と思っていたので、のちに読む人にもわかるように記録することを心がけていました。ですから「先週」とか「一昨年」などというような表現は、できるだけ使いませんでした。のちになったら「先週」がいつか、分かりませんからね。
  だから、40年たったあとで、僕のコラムを読めば日本のサッカーの歴史がわかるといわれたのだと思います。