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サッカーマガジン 2005年12月20日号
ビバ!サッカー

ヴェルディのJ2落ちを考える

 半世紀近くスポーツ記者をやっているが、とくに「ひいき」のチームはない。ファンのために記事を書くので、ファンが取材するのではないと思っている。
 ただし、Jリーグについては、三つのクラブに、いささかの「思い」がある。新潟と神戸と東京のヴェルディである。新潟はぼくの出身地である。神戸はいま兵庫県の大学に勤めているから地元のクラブである。ただし大学は今学期かぎりで退職して東京に戻ることにしている。
 ともあれ、いささかの「思い」がある三つのチームのうち、神戸に続いて東京ヴェルディもJ2落ちになったのには、いささかでない「思い」が生まれた。
 ヴェルディの前身である「読売サッカークラブ」は1969年に生まれた。そのスタートにぼくはかかわっていた。
 当時すでに、いまのJリーグの前身である「日本サッカーリーグ」の1部だけができていた。まずはそこに入ることが目標だが新設のチームだから、そうはいかない。東京リーグのいちばん下に加入するのが筋である。
 そのとき、当時の日本サッカー協会の実権を握っていた小野卓爾さんが「宮城県から登録してはどうか」と勧めた。宮城県は東京に比べて登録チーム数が少ないから早く上にあがっていける。うまくいけば数年で日本リーグ入り出来る。日本リーグにあがってから、本拠を東京に移してはどうかというのである。
 ぼくは強硬に反対した。「日本で初めての本格的なクラブを作ろうとしているんだ。クラブは地域と結びついたものなんだ。最初は仙台にいて、あとで東京に移ろうなんて間違っている」
 結局、東京リーグの3部からスタートして、東京2部、1部、関東リーグ、その後にできた日本リーグ2部を経て、日本リーグ1部にあがったのは1978年である。創設以来9年かかった。初優勝は1983年。創設14年目だった。
 言いたいことは、こうである。
 ヴェルディは、富士山のようなサッカー組織の、はるか裾野からはい上がってきたチームで、はじめから山頂にいたわけではない。名門とは、そういう意味である。ちょっと滑って、2合目に下がったからって、くじけることはない。
 だいたい、J1だろうが、J2であろうが一つのリーグと考えるべきである。あわせて30チームは、リーグ戦をするのは多すぎるので便宜上、2部に分けているにすぎない。そう考えれば、神戸にしてもヴェルディにしても、17位あるいは18位から19位あるいは20位に、ちょっと順位が下がったと考えるべきである。チームにとって大事なのは、また山頂をめざして、はい上がることである。


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