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サッカーマガジン 2004年12月14日号
ビバ!サッカー

トヨタカップ25年の裏話

 トヨタカップが、今回の第25回で終わりになる。その四半世紀に、日本のサッカーに何を残したか…。
 それを考えてみようと、わが「ビバ!サッカー研究会」がトヨタカップ開催当日の12月12日(日)に、横浜国際総合競技場すぐ近くの会場でシンポジウムを開くことになった。どうせ夜の試合を見にいくのだから、その前にちょっと集まろうというわけである。
 欧州と南米のクラブ・チャンピオンが争う事実上の世界一決定戦を日本に持ってこようというアイデアで、トヨタカップは1981年に始まった。当時の事情を知っているぼくが報告をし、世界へ向けて中継をしてきたテレビ局の人や、ずっと取材を続けてきた関係者を招いて「裏話を聞こう」という筋書きである。
 裏話といえば、インター・コンチネンタル・カップを日本で行なう企画を、テレビ局などの関係者が持ち込んだとき、日本サッカー協会の若手の幹部が「乗り気でなかった」という記憶がある。2年ほど前に、そのことを書いたら、いまはもう長老幹部になっている方から「そんなことはない、はじめから、みな賛成だったぞ」と叱られた。 
 それで「ぼくの記憶違いのはずはないが…」と不審に思っていたのだが、今回のシンポジウムのテーマについて考えているうちに、はっと気がついた。 
 四半世紀前には、日本体育協会にアマチュア規程というものがあって、プロとアマチュアは厳重に区別しなければならないことになっていた。日本サッカー協会は体協加盟団体としては、アマチュア規程を守らなければならない立ち場だった。日本代表チームが外国のプロを招いて国際試合をするときは「競技レベル向上に資するため」として、いちいち体協理事会に、お伺いをたてなければならなかった。そういう時代だから、外国のプロ対プロとの試合を主催するなんてことが、いきなり表ざたになっては困る。というわけで、協会の若手幹部は、内心では「いいアイデアだ」と思っていても一応は渋い顔をして見せたのに違いない。 
 そういうことを考えると、日本のスポーツ界を支配していた偏狭なアマチュアリズムに風穴をあけたのも、トヨタカップの功績の一つといえるだろう。体協アマチュア規程は1986年に廃止された。 
 ところで、ぼくたちのシンポジウムをのぞいて見たい方は、次のホームページから申し出ていただきたい。小さな会場なので満員になりしだい締め切るけれど、ナビスコカップ決勝の切符みたいに、申し込んでも一瞬にして「売り切れ」なんてことには…なりっこないかな。 


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