日韓共催の2002年ワールドカップから1年以上たった。成果のなかで、もっとも大きなものは日本と韓国の関係の変化だろうと思う。政治、経済の関係改善は、いろいろな面で指摘されている。しかし、サッカーの日韓関係については、世代によって大きな差があるようだ。
韓国大躍進への反応
2002年のワールドカップを、日本と韓国は共同で開催した。大会が始まると、日本も韓国も、そろってベスト16に進出した。そこまではよかった。
日本が第2ラウンドの1回戦で敗退し、韓国が強敵を破ってベスト4まで進出すると、ちょっと雲行きが変わってきた。
その話をしたい。
東京の読売・日本テレビ文化センター北千住で毎月2回「ビバ!サッカー講座」をやっている。そこへ先日、若いライターが「見学」にやってきた。講座は一度は無料で見学できることになっている。
見学にきたのはジュン・ハシモトという女性で、サッカーやスポーツの取材をして雑誌などに寄稿している。新しく本を出したので、その紹介を兼ねて「見学」に来たという。新しい情報を持って来てくれるのは大歓迎である。
ハシモトさんの書いた本は『報道されなかったサポーターの真実―実録ワールドカップ2002』(マイクロマガジン社)である。ぼくたちビバ!サッカー講座のメンバーも、昨年『6月の熱い日々―サポーターズ・アイ』(中央公論事業出版)という実録を出したので、おおいに興味を持った。
講座が終わったあと近くのサッカー居酒屋で「延長戦」がある。ハシモトさんは、そこにも付き合ってくれた。
そこで、話をしていて、ワールドカップのときの韓国の大躍進に対する反応に世代によって大きな差があるのではないかと気が付いた。
韓国応援はおかしい?
お酒を飲みながらの話だから、あるいは、ぼくが間違って受け取ったかもしれない。だから、ここはハシモトさんの考えではなく、ぼくが理解した若い世代の人の考え方、感じ方として読んでいただきたい。
ワールドカップで韓国が勝ち進んで日本は敗退した。そうすると日本のマスコミは「同じアジアの仲間として韓国を応援しよう」という論調になった。これはおかしい、という意見である。
ぼくは「韓国を応援しよう」という特別のキャンペーンをはった日本のマスコミをしらない。テレビの解説者などが「韓国にがんばってほしいですねぇ」というような言い方をしたのは聞いたことがある。新聞でも署名記事で似たような趣旨を書いた人はいたかもしれない。しかし、これは個人の責任による意見で組織としてのキャンペーンではない。
ぼく自身は当時、日本の読売新聞夕刊と韓国の韓国日報にコラムを書いていた。「韓国を応援しよう」と書いたことはないが気持ちとしては韓国の活躍を祝福していた。テレビを見ていて、韓国代表のゴールに歓声をあげる日本のファンがいる話を韓国日報に書いたと記憶している。
一方で「韓国の進出は審判の誤審に助けられたものだ」として、審判を批判するのではなく、韓国を中傷するような意見もあった。これは主としてインターネット上に集中的に登場した。誤審の場面をテレビの画面からコピーして、繰り返しインターネットで流した人もいるらしい。これは著作権法違反である。
インターネット世代
著作権法違反は論外としても、韓国進出に対する感情的な反応には、世代の差があるのかもしれない。
そこには年齢による教育や経験の違いだけでなく、慣れ親しんでいるメディアの影響があるのかもしれない。
60歳以上の世代は活字文化に、どっぷりつかって育った世代である。子どものころ、韓国の人びとは日本の植民地支配に屈辱的な思いをしていた。こちらは「日本が悪かった」という負い目を感じているから、韓国のサッカーファンが日本に勝って大喜びしていても、悔しい思いよりも「仕方がない」という気持ちが先に立つ。そういう思いも、表現するときは、活字の影響力を考えて控えめにする。
いまの40代、50代はテレビ世代だろう。この世代の大びとは、韓国人の反日感情と日本人の嫌韓感情をあわせて知っている。サッカーファンとしては、日韓戦で日本が負けてばかりいて悔しい思いをしてきたから韓国に対するライバル意識は強い。しかしテレビは主として視聴するだけのメディアだから、この世代は自分のほうから発信することには慣れていない。
20代、30代は、全部が全部ではないにしてもインターネット世代である。日韓関係について特別の思いは持っていない。サッカーは日韓戦であっても単なるスポーツの試合である。だから誤審についても、インターネットという無責任なメディアに無遠慮な書き込みをする。
というのが、ぼくのおおざっぱな仮説だが、どんなものだろうか?
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