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サッカーマガジン 1998年6月10日号
ビバ!サッカー

キリンカップの第1戦

 今回のキリンカップは、例年とは違う性格のものだった。ワールドカップ・フランス大会の開幕を3週間後に控えて、日本代表チームの岡田監督が、どういう戦い方を考えているかを示すものだったからである。第1戦で注目を集めたのは守備ラインのスイーパーシステムだった。

☆スイーパーシステム
 5月17日に東京の国立競技場で行なわれたキリンカップの第1戦、パラグアイとの試合で、岡田監督はスイーパーシステムを使った。敵の最前線のストライカー2人に、それぞれ1人ずつマンツーマンでマークを付け、その背後に、こぼれ球を拾うカバー役を置く方法である。
 このカバー役を「掃除をする人」という意味でスイーパーと呼ぶ。実際には背後でカバーばかりしているわけではなく、中盤に進出して攻撃に参加することもあるので、マークすべき特定の敵を持たない「自由な立場」という意味でリベロとも呼ぶこともある。
 近ごろ、このやり方を、多くの人が「スリーバック」といっているが、戦法の歴史からみると誤解を招きやすい。1960年代ごろまで日本で「スリーバック」と呼んでいたのは、別の考え方による別のシステムだったからである。ここでは「スイーパーシステム」と呼んでおくことにしたい。
 パラグアイのツートップに対して日本は秋田と小村をつけてマンツーマンでマークした。カバー役のスイーパーは井原である。
 中央部にいる敵のツートップを3人がかりで守ると両サイドがあく。そこに常時ディフェンダーを配置しておくのはムダだから、両サイドバックは中盤から前線に進出することが多くなる。そこで、もともとはディフェンスラインに数えられていた両サイドのプレーヤーを中盤プレーヤーとして数えて、3−5‐2などと呼ぶこともある。

☆守備を固める狙い
 岡田監督は「私の3バックは守備的なものです」と言っていた。スイーパーシステムを「守備的」と考えるのは、歴史的には正統派だ。
 というのは、守備ラインの中央を固める3人とともに、両サイドにいる2人は、もともとは守備ラインのプレーヤーで、これを加えるとディフェンダーは5人だからである。つまり、5−3−2というように呼ぶべきだということになる。したがって、3バックではなく5バックである。4人のディフェンダーがカバーしあって守備ラインを構成する4バック(4−4−2など)にくらべると、ディフェンダーが1人多くて守備的である。
 とはいえ、岡田監督のスイーパーシステムでも、実際には両サイドは中盤に進出して攻守両面のプレーに同じくらいかかわった。だから3バックと呼んでもいいのだが、狙いは守りを固めて逆襲の速攻ということだった。
 キリンカップの第1戦では、パラグアイが前半7分にコーナーキックから先取点をあげ、リードされた岡田監督は守備的に戦うわけにはいかない立場になった。しかし、フランス大会のアルゼンチン戦を想定した試みに、こだわっていたので、がまんにがまんを重ねてスイーパーシステムを続けた。
 ところが、パラグアイの方は、リードを守り切ろうと、ツートップのうちの一人を中盤に引かせて守りに入った。敵のワントップに2人のストッパーと1人のスイーパーを付けるのでは効率が悪すぎる。

☆「殺し屋」の使い方
 後半に小村に代わって斉藤が入ったが、守り方はスイーパーシステムのままだった。
 小村は、きびしいマークの得意な「殺し屋」である。前半はパラグアイのプリスエラを付きっきりでマークしていた。しつこくまとわりつき過ぎていたので、レッドカードをもらいやしないかと、はらはらしていたくらいである。
 後半から入った斉藤はカバーが得意なようである。だから小村と斉藤の交代は、守備ラインのシステムを変えるためかと思ったのだが、そうではなかった。
 試合後の記者会見で岡田監督が説明したところでは、交代は小村が足首をひどく捻挫していたためだということだった。
 敵の強力プレーヤーに「殺し屋」タイプの守りを付けて心中させるのは一つの方法である。
 アルゼンチンに強力なストライカーが2人いて、この2人を封じ込めようとすれば、どうしてもスイーパーを置く形になる。
 ただし「殺し屋」に徹底的に心中させる形で2人をマークするのはむずかしい。敵の2人を封殺するために、こちらも2人を犠牲にする結果になるからである。
 4人でゾーンの守りを敷いて、別に「殺し屋」を置く方法もある。中盤の攻撃の起点を押さえるには有効である。
 岡田監督が守備のシステムを4バックに変えたのは後半33分になってからだった。後半41分にフリーキックを、こすからく利用して同点ゴール。結果はまずまずだった。


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