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サッカーマガジン 1998年2月18日号
ビバ!サッカー

アルビレックス新潟の昇格

 Jリーグが6年目を迎えて大きな曲がり角に立っている。選手に対する高額の支払いと収入の激減で、ほとんどのクラブが経営困難だ。しかし一方で、Jリーグ入りをめざす地方都市のクラブもある。これからのJリーグはどうなるのか、どうすればいいのかを考えてみたい。

☆待望のJFL入り
 日曜日の夕方、鹿児島から電話がかかってきた。1月25日だ。
 「勝ちました。上がれました。長い間かかりましたが、やっとです」
 受話器の向こうの声が弾んでいた。
 電話を掛けてくれたのは、アルビレックス新潟のコーチである。
 鹿児島の鴨池競技場で行なわれていた「全国地域リーグ決勝大会決勝リーグ」の最終日の試合で、北信越のアルビレックス新潟が、関西の教育研究社に6対3で勝ってJFLに昇格したという報せだった。
 「長い間かかりましたが、やっとです」というのは、チーム作りに携わっていた人の実感だろうが、ぼくの感想は違う。「わずか4年間で早くも」というのが、ぼくの気持ちである。
 アルビレックス新潟が発足したのは、Jリーグ創設の翌年である。それまで新潟市の高校のOBが主体だったチームを新潟FCとして地域のクラブに衣替えした。それが始まりである。
 クラブの名前を市民から公募して「アルビレオ新潟」としたが事情があって、いまは「アルビレックス」と呼んでいる。アルビレオは星座の白鳥座の美しい星である。
 新潟のクラブは北信越リーグに属していたが、それまでは、なかなかトップに立てなかった。それが新潟FCとなった翌年には北信越リーグで優勝して、地域リーグ決勝大会への出場権を得た。それから3年目でJFLに昇格したのだから、かなりのスピード出世だと、ぼくは思う。

☆企業に頼らず地域から
 アルビレオ新潟がスタートしたとき、ぼくは新潟のサッカー界の人びとに三つのアドバイスをした。
 第一には「特定の企業に頼らないこと」である。
 このころ、新潟の友人たちは「新潟には大企業がないからなあ」と心配していた。友人たちのイメージは「実業団」である。実業団とは企業が社員として選手たちを雇用して作っている会社チームのことだ。浦和レッズが三菱自動車を母体にし、ガンバ大阪が松下電器を母体にしてスタートしたように、どこか有力な企業を母体にしなければ、できないものと、友人たちは考えていた。
 ぼくのイメージは違う。まず地域のクラブがあり、それを地域の、いろいろな企業が応援してくれるという形である。だが、それにしても新潟には有力企業が少ないので、スポンサー集めが難しいことは確かだった。
 第二のアドバイスは「下からじっくり積み上げよう」ということだった。
 そのころ、すでにJFLに加盟している実業団チームを、そっくり移管してきてJリーグ入りをめざす動きがあった。岡山県の川崎製鉄を兵庫県に持ってきてヴィッセル神戸にしたり、神奈川の東芝を北海道に持ってきてコンサドーレ札幌にしたり、という方法である。
 これは地域リーグをパスして、いきなりJFLの加盟権を得るので、手っ取りばやい。しかし、地域のクラブを育てるという趣旨からすればちょっと「いんちき」である。

☆これからがたいへん!
 「焦ることはない。地域リーグから、じっくりと育てて2002年のワールドカップのあとにJリーグに入るくらいでいい」と、ぼくは考えていた。同じようなことを新潟県の平山知事が言ってくれたので、ぼくはおおいに意を強くした。
 さて三つめのアドバイスは「外の風を入れよう」だった。
 地域のクラブといっても、地域にこり固まっていては進歩はない。窓をあけて外の風を入れる必要がある。
 新潟県が、県内のスポーツ振興のために、三つのスポーツに外国人の指導者を招く計画を立てていた。そこで、スキーと女子バドミントンとともにサッカーのコーチを加えてもらった。たまたま、ヴェルディのヘッドコーチだったフランツ・ファン・バルコムさんが、あいていたので、県の研修事業の指導をするとともに、アルビレックスも見てもらうことにした。バルコムさんはオランダ出身だから、これは「ヨーロッパからの風」である。
 バルコム監督は、なかなかよくやったと思う。他のクラブほどには、お金をかけないで、自分の子飼いの外国人プレーヤーをヨーロッパや米国から呼んだり、県のユースチームをヨーロッパに連れていったり、おおいに外の風を入れてくれた。アルビレックスのチーム作りにも成功してJFL昇格を勝ち取った。
 この昇格を最後に、バルコム監督は契約を打ち切られるらしい。あとにくる監督は日本人らしいが「これからがたいへんだぞ」と、ぼくは心配している。


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