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サッカーマガジン 1994年11月30日号

ビバ!サッカー

女子大生のサッカー実技

 女子サッカーも非常に普及して、サッカーが男だけのスポーツだったのは遠い昔のような気がする。とはいえ、現在の大学生くらいの年齢では、子どものころからサッカーを知っていたという女性は少ない。そこで女子大生にサッカーを教えたら、どんなものかと実験している。

☆将来の子どものために
 「トシを考えろよ。若い女性の前で転んで骨折するのが関の山だぞ」
 「お前が実技を教えて、悪いお手本を見せちゃ困るよ。泥棒が警察学校の先生になるようなものだ」
 勤め先の女子短大で体育実技の時間にサッカーを教える、と言ったら友人たちが、こぞって反対した。
 ま、無理もないけど。
 女子大の体育実技で、サッカーをやってみようと思い立った理由は、しごく単純である。
 ぼくの宿舎はキャンパスの一隅にあって、窓から大学のグラウンドが展望できる。この広いグラウンドが学生の体育のためには、ほとんど使われていない。これは、もったいないから、使ってサッカーのために実績を残そうと、思っただけである。
 この大学には体育大学を出た専門の先生が何人もいる。だから、いかにサッカーが好きで、詳しいからといって、ジャーナリストであるぼくが出しゃばることはないのだが、サッカーをやってみたいという学生がいるのならば、やってみてもいいと思い立ったわけである。
 それに、18歳ぐらいの女性が、はじめてボールを蹴ったら、どういうことになるかちょっと実験してみるのも面白い。
 学生たちは今後、幼稚園の先生になって、あるいは自分自身が母親になって、子どもたちを教育することになる。そのときに、子どもたちの好きなスポーツを知っていれば、役に立つのではないか、とも考えた。
 つまり、まだ生まれていない将来の子どもたちのためである。

☆クーバーのビデオで
 体育指導の専門家のなかに混じってやるのだから、ふつうの体育実技と同じ指導をしたのでは意味がなかろうと考えた。ふつうの授業をやるのなら、専門家に任せたほうが安全である。
 そこで、教材として、ウイール・クーバー氏の「攻撃サッカー、技術と戦術」(旺文社)のビデオを使うことにした。クーバー氏は、オランダのフェイエノールトの監督としてヨーロッパのタイトルを取ったことのある、かつての名監督である。
 このクーバー氏は、病気のために現場を退いたあと、独特の少年サッカーの指導法を工夫して発表した。そのビデオと著書を、ぼくが翻訳して日本に紹介したことがあるので、このさい使ってみることにしたわけである。
 教室で5分ほどビデオを見せて説明してから、グラウンドに出る。
 グラウンドで、クーバー氏のレッスンのテクニックがうまく出来るまで練習するわけではない。ちょっと、やってみるだけである。
 サッカーの試合のなかに、いろいろな身体とボールの動かし方がある。それを、ある程度真似してみながら「なるほど」と、理解してくれればいい、というのが狙いである。
 ビデオのなかに、ヨハン・クライフがプレーをしている試合の場面が使われている。それを見ると、大観衆をわかせている華麗なテクニックが、実は自分たちがグラウンドで真似しているテクニックと同じものだということが分かってくる。それがサッカーの面白さである。

☆文化としてのスポーツ
 ビデオのなかに、ヨーロッパのプロの試合の熱狂的な雰囲気が出てくる。そのなかでプレーしているスーパースターたちの、はりつめた表情が出てくる。
 また、子どもたちがテクニックを練習して、どんどん上手になっていく様子が描かれている。
 それを見てからグラウンドに出れば、自分たちがやっているスポーツが、ただ身体を鍛えるための手段ではなく、それ自身、一つの文化であり、また世界を包んでいる大きな文化の一部であることが、身体を動かすことを通じて分かってくるのではないだろうか、と考えた。
 というふうに書くと、格好がいいが、実は、これは授業を始めてから、あとで気が付いた理屈である。
 グラウンドの隣に、大学付属の幼稚園がある。
 授業が終わって、学生たちが白黒のボールを一つずつ抱えて、グラウンドから引き上げてくると、窓から見ていた幼稚園の園児の男の子が、大きな声で繰り返し、なにか悪態をついた。
 どうやら、お姉さんたちが、みな格好いいボールを持っているので、うらやましかったらしい。これも、一つの文化的現象である。
 さらに、びっくりしたのは、翌日から、幼稚園の子どもたちが、どこからか白黒のボールを調達してきてサッカー遊びをしはじめたことである。
 わが体育実技のサッカーの影響は、すでに生まれている子どもたちにも及び始めている。


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