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サッカーマガジン 1986年5月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

代表監督交代がもたらした波紋
協会との見解の相違に苦悩した森監督

森監督の突然の辞任
協会首脳部との食い違いが本当の原因ではないのか?

 日本代表チームの森孝慈監督が突然、辞任した。
 「突然じゃない。予想されていたこと」という感じで、日本サッカー協会は発表したらしいけど、ぼくたち門外漢にとっては「突然」だったね。やっぱし。
 なぜかといえば、そのつい2カ月前の12月に、協会は、森監督の留任を発表している。それが、その後なにもないうちにひっくり返ったのだから、これが「突然」でなくて何であろうか。
 森監督辞任の発表があったのは、3月3日の日本サッカー協会の強化部会のあとである。その日の午前中に「きょうの午後、発表があります」という知らせが来て、行ってみたら後任の石井義信新監督も決まっていて、合わせて発表するという手ぎわの良さだった。
 あまり手ぎわがいいと、こっちはあまのじゃくだから「何かあったな」と裏の事情に鼻がぴくぴくする。
 発表のときの森孝慈氏の辞任の理由は、
  @勤務先(三菱重工)の仕事に専念したい
  Aワールドカップ予選で韓国に敗れた責任も感じている
  というものだった。
 どちらの理由も、気持としては本当だろう。しかし、それが真相だと信じるほど、こっちはナイーブではない。
 ワールドカップ予選敗退の責任をとってやめるのなら、昨年11月、韓国に負けた直後に、きっぱりと辞意を公表するはずである。そして一刻も早く、後継者がスタートを切ることができるようにするはずである。森チンの人柄から考えて、そうしないはずがない。
 もちろん、昨年の11月に辞任を考えたに違いない。しかし、やめなかったのは、協会側から引き続きやるように説得されて、もう、ひとふんばりしようという気になったからではないか。そうでないと、12月になってから、留任が発表されたわけが分からない。
 「勤務先の仕事に専念する」というのは、監督辞任の原因ではなく、結果だろう。勤務先の三菱重工から、「もうサッカーはやめて会社の仕事をしろ」といわれたのでは、なさそうである。
 サッカーの日本代表チーム監督の仕事が、自分の思い通りに出来そうもない、不本意な思いで監督を続けるよりは、足を洗って本来の仕事に戻ろう――ということでは、ないだろうか。
 というふうに考えると、これは森監督とサッカー協会首脳部との間に何か考え方の衝突があったのではないか、と推理できる。
 聞くところによると、昨年12月までに、森孝慈氏は、引き続き監督をやるについての条件を、強化部長の岡野俊一郎氏と話し合っていた、ということである。
 それで了解がついたと思って、12月17日に留任を発表したのだが、1月になって森氏の方から「どうも話が違う」といってきて、辞任になったという。
 やはり、裏の事情が「何かあった」のである。

監督は専任がいいが…… 
コーチのマーケットがなければ契約制度は無理かも!

 新聞によると――ということになるのだが、森孝慈氏が日本代表チームの監督をやめたのは「日本代表の監督を協会の専任にして欲しい」という提案を、協会首脳部が採用しなかったためだという。
 森チンのことだから、日本代表強化についての改革のアイデアは、ほかにもいろいろ持っていただろうけれど「監督専任案」だけでも十分論議に価するテーマである。
 ワールドカップ予選で韓国に敗れたとき「いまのように、仕事とサッカーの両天びんをかけていては、いつまでたっても勝てない。韓国にはプロがあって、サッカーに専念しているのだから」という意見が、あちこちから出た。
 日本代表の選手たちも、そういう思いを持ち、仲間同士で真剣に話し合ったという。
 選手だけでなく、監督も同じ考えになって不思議はない。森孝慈氏が大企業のエリート社員の立ち場をなげうって、サッカーの監督をやろうと考えたのなら、一大決心である。
 こういう考えに協会首脳部が反対だったのは確かである。というのは協会専務理事の長沼健氏が、次のように話したからである。
 「日本代表チームの監督を専任にするのは、日本の現状では無理ですよ。これは勝負の世界だから、その監督が、いつでも勝ち続けることができるとは限らない。失敗したときには、やめてもらわなくてはならない。やめた監督を、次に協会の職員として抱え込んでおく力は、スポーツ団体にはありません」
 だから日本の現状では、企業に勤務している人に出向してもらって、できればその期間だけは監督に専念してもらい、監督をやめたら、もとの仕事に復帰できる道を作っておくのがいい、と長沼専務理事はいう。
 「出向してもらっている期間の給料は、協会が負担してもいい。今度の石井新監督についても、勤務先のフジタ工業の社長に、そのようにお願いしましたが、社長は、給料は自分の方で払う、というお話でした。それでも、監督として必要なものは協会が上乗せして払ってもいいと考えています。しかし、監督をやめたら仕事に戻る道を残しておかないと」
 この長沼専務理事の考えを、ぼくは、もっともだと思う。その人物の将来を考えれば、これは恩情あふれる方針である。
 日本代表チームの監督、コーチは本来は専任でなければならないと思うが、これは協会の職員として雇用するのではなく、一定期間を請負ってもらうという形で契約するのが、仕事の性質には合っている。
 しかし、日本のように終身雇用が当たり前の社会では、短期間の契約では、優秀な人材は応じないに違いない。
 ただし、日本にスポーツの指導者の流通機構があれば話は別である。
 森孝慈が日本代表チームの監督をやめたら、チャンスとばかりに読売クラブや全日空横浜クラブが競って契約を申し出る――つまりスポーツ指導者のマーケットができればいいんだが、とぼくは考えた。
 それにしても――。
 西ドイツに留学して腕を磨いた有能な指導者が、ただのサラリーマンになるのは、実にもったいない話である。

加藤久選手の憤慨
代表辞退は誤報。しかし協会の長沼体制にひび割れ?

 「ぼくは、あんなことは話してない。取り消しを出してもらいたいですよ」
 読売クラブの加藤久選手が噴慨していた。森監督辞任のニュースに続いて新聞に出た一連の騒ぎ? の件である。
 一連の記事は、主として共同通信社の流したニュースがもとになっていて、共同の国内記事の配信を受けていない読売、朝日、毎日の3大全国紙には載らなかったが、地方紙やスポーツ紙に載ったのを、お読みになった方は多いだろう。
 まず最初に、「森監督がやめたので読売クラブの加藤久、日産の木村和司、古河の岡田武史などの選手が、日本代表を辞退する」という記事が流れた。
 加藤久選手が噴慨したのは、これである。
 「ワールドカップ予選が終わったあと、日本代表チームは編成されていない。新しい日本代表選手が指名されていないのに、辞退するわけがありませんよ」
 というのが、加藤久選手の話だった。
 木村和司、岡田武史なども、みな同じで「森さんがやめるのは残念だけれども、代表を辞退するなんて話していない」という。
 翌日、続いて第2弾が流れた。
 「ユース代表監督の松本育夫、日産監督の加茂周、ヤマハの杉山隆一、ヤンマーの釜本邦茂などの顔ぶれが、日本サッカー協会の強化部を辞任する」というニュースである。
 たまたま、別の用で大阪の釜本邦茂氏に電話をかけたら、釜本強化部員が電話の向こうで、こういった。
 「いったい、どうなってんですか。大阪の夕刊スポーツ新聞には、サッカー崩壊って大きな見出しが出てますよ」
 「そりゃ、東京の新聞にも出てる。釜本が火付け人じゃないか」
 「冗談じゃない。わしは、そんなこと、いっさいしゃべってません」
 日本サッカー協会の長沼健専務理事によると、他の強化部員からも「そんなこと話していない」と連絡があったという。
 ただ、強化部の任期は、3月いっぱいなので「4月以降はやらないかもしれない」と話した人は、2、3人いたようだ。
 ついでにいえば、長沼技術委員長と岡野俊一郎強化部長も3月で任期切れで、この2人は「4月以降はやらない」と長沼氏が明言した。
 というわけで、長沼氏は「共同通信の流したニュースは、7割は完全なオフサイドです」という。
 なるほど、そうだろう――とぼくは思う。加藤久選手や釜本邦茂氏の言葉が、間違って流れたことは、彼らの名誉のために、ここに明記しておいてやりたい。
 しかし――である。
 火のないところに煙は立たない。
 引用された一人、一人の言葉は違っているにしても、日本サッカー協会を揺さぶろうとする一つの流れがどこかで起きているのではないか。
 1976年以来、10年間続いてきた長沼体制に、ひびがはいりはじめているのではないか。
 このところ、いくつかのニュースに、その徴候が見えているようだ。


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