アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1985年7月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

ムードの良さで集中力が持続
東アジアの結束はサッカーの大会で

森ファミリーの成功
90分間守りの集中力を持続できた二つの理由とは!

 平壌で行われたワールドカップ予選の日本対朝鮮民主主義人民共和国の第2戦は、テレビ中継がなかった。これはまことに残念だった。
 NHKから3人が、カメラを持って日本チームに同行したのだが、平壌からは、通信衛星を使って画像を送ることができないのだそうだ。撮影したビデオを持ち帰って、スポーツニュースの時間に、ごく一部だけ放映したのを見たが、日本が懸命に守っている様子が、ちらりと分かる程度だった。
 新聞社のサッカー担当記者では、ぼくの同僚である読売新聞社の島田公博君と、かつて慶応大学の選手だった財徳健治君が、特派員として出かけた。
 島田君は、試合のあと平壌に残って、朝鮮のスポーツの近況を取材していて、この原稿を書いている時点では、まだ帰国していない。帰ってきたら、じっくり報告を聞こうと思っているが、いまのところ、新聞に送稿してきた記事を読んだだけである。
 財徳君のレポートは、サッカーマガジンの、この号に載るということなので楽しみにしている。
 そういうわけで、詳しい試合内容は知らないのだが、敵地で無失点の引き分け、という結果は、すばらしかったと、ぼくは高く評価したい。
 どうも守りに守った結果のようではあるけれども、90分間、守りに守るのは、容易なことではない。
 とくに旅先で、相手の地元の8万人の観衆に囲まれての試合だから、肉体的にも、体力的にも、集中力を張りつめ続けて守るのは、たいへんである。不慣れな人工芝での試合だからなおさらだ。
 ところで、今回の日本代表チームが、なぜ90分間、守りの集中力を持続できたのだろうか。
 ぼくの考えでは、大きな理由が二つある。
 一つは、体力的なコンディションが良かったことである。
 国内の日本リーグのシーズンが、ことしは秋から翌年春にかけての冬場に移ることになったので、この時期は国内のスケジュールがあいており、森孝慈監督は、比較的たっぷりと時間を使って準備することができた。
 また、ホームアンドアウェー方式だったので、不利な遠征試合でも、試合日の1日だけに焦点を合わせて調整することができた。それに平壌の場合には、時差と暑さの問題がなかった。
 以上のような条件に恵まれて、体力的にいい状態で試合をできたのが幸いしたと思う。
 もう一つの理由は、森ファミリーの結束が非常に固かったことだ。
 昨年のロサンゼルス・オリンピック予選で惨めな負け方をしたあと、そして一部の選手を入れ替えたあと、森孝慈監督と加藤久主将の実力と人柄を軸にして、日本代表チームのムードが非常に良くなっているように思う。
 つまり、精神的なコンディションも良かったので、集中力を90分間保ち続けることができたのだろうとぼくは考えるわけである。

W杯至上主義に警告
ワールドカップの優勝めざして目標は高く持ちたいが 

 「日本が来年メキシコに行けることになれば、初めてのことかね」
 読売クラブのルディ・グーテンドルフ監督が、こうたずねた。
 「その通り。いつもアジアの予選で負けている」
 と、ぼくが答えた。
 本当のことをいえば、ワールドカップの予選に出なかったことさえあるのだ。なにしろ、過去の日本のサッカーは、オリンピック至上主義で、オリンピックのためには、なにもかも犠牲にしてよいという風だった。ワールドカップは雲の上の話で自分のことではないみたいな時期もあった。
 ワールドカップヘの日本人の関心を(まだ、ごく一部ではあるが)かき立てたのは、何を隠そう、ジャーナリストとしての、ぼく自身の功績であると、ぼくは、うぬぼれているくらいだ。
 それが、いまになって、にわかにワールドカップ至上主義みたいなものが、日本サッカー協会あたりに、ただよいはじめた。困ったものだね。
 サッカーではもともと、オリンピックは、ワールドカップにくらべればマイナーな大会なのだ。いまに始まったことではないのだ。
 しかし、この次からは、オリンピックはジュニアの世界選手権として行われることになるので、その次のワールドカップにつながる大会として、重要になるはずである。
 「いまこそ、オリンピック」ではないか。
 さて、グーテンドルフの話の続きに戻ろう。
 「まだ日本がワールドカップのファイナル・ラウンドに出たことがないのなら、来年のメキシコは、チャンスだ。ミスター・モリは幸運だ。彼がメキシコに行けたら、シャッポを脱いで敬意を表そう」
 来年のメキシコが、日本チームにとって本番出場のチャンスであることは、ルディに言われなくたって分かっている。希望が濃くなってきたからこそ、ワールドカップ至上主義に乗り換えたオポチュニストが、はしゃいでいるのだ。もっとも、ぼく自身は、2次予選、3次予選で中国、あるいは韓国に勝つのは、ルディのいうほど可能性が濃いとは思っていないけれども――。
 しかし、グーテンドルフの話をきいていて、いささか悔しい気持にもなった。
 「メキシコに出られたら、森監督に敬意を表そう」とグーテンドルフがいうのは、彼が外国人で、日本のサッカーヘの期待度が低いからである。
 これが、西ドイツのサッカーに対してなら、メキシコへ行けるくらいでは、決して満足しないだろう。最後の決勝戦に残れないようなら、ナショナルチームの監督に対して悪口雑言だろう。
 ああ、ぼくだって――。
 森監督が平壌で引き分けたくらいで、褒めたくはない。
 メキシコの決勝戦で負けたときに悪口雑言の限りを尽くしたい。

東アジアの大会を開け
日本、中国、南北朝鮮を中心に東アジア地域の結束を

 サッカーの代表チーム同士の試合が、東京と平壌で行われたのを機会に、いま、アジアのスポーツでもっとも重要だと思われる問題に目を向けてみたい。
 それは「東アジアのスポーツの結束」ということである。この問題の解決に向かって、サッカーが大きな役割を果たせるのではないか、とぼくは思っている。
 十数年前には、アジアのスポーツは、二つの大きな問題を抱えこんでいた。
 一つは、最大の人口と、高い競技レベルを持つ中国(中華人民共和国)が、仲間にはいっていないことだった。
 もう一つは、アジアの西のはじにあるイスラエルと、その周辺のアラブ諸国が対立していて、イスラエルをアジアの組織の中に入れておくのがむずかしいという問題だった。
 この二つの問題は、いまでは曲りなりにも解決している。
 いま、アジアのスポーツが新たに抱え込んだ問題は、アジアが大きく広がり過ぎたことである。
 日本から地中海沿岸までに至る地域は、一つのスポーツの単位として活動するには、あまりにも広大である。それに言葉も宗教も、さまざまである。
 それを一つにまとめるところに、スポーツの役割がある――という考え方も、できないわけではないが、現実の問題としては、4年に1度のアジア競技大会を開くのが精いっぱいだろう。
 一方で、同じアジアの中で、マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシアなどの東南アジアには、一つのスポーツのまとまりがあって、東南アジア競技大会(SEA)を開いている。
 また、中近東のアラビア諸国は、同じ地域、同じ言語、同じ宗教ということもあって、スポーツでも一つのまとまりを持っている。サッカーでは、湾岸諸国の大会などが行われている。
 そこで、残りの東アジア地域、つまり、日本、中国、朝鮮半島などを中心とする地域で、スポーツの一つのまとまりを作ってはどうか、という問題が起きている。
 昨年の12月にシンガポールでアジア・サッカー連盟(AFC)の会議が開かれたとき、AFCのピーター・ベラパン事務局長が「日本、中国、朝鮮民主主義人民共和国、韓国の4チームで大会を開いてはどうか」と提案した。
 この提案の背後には、東アジアのサッカーで、一つのまとまりを作ろうという狙いがある。
 聞くところによると、朝鮮民主主義人民共和国のサッカー協会関係者は「四つだけでなく、東アジア地域の全部のナショナル・アソシェーション(各国協会)に呼びかけた大会なら検討しやすい」という考えらしい。
 必ずしもナショナルチームでなくても、AFC公認の東アジア・サッカー大会を日本で開くことができれば面白い。それが、東アジアのスポーツ組織作りにつながる可能性は十分ある。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ