おかしな総理大臣杯
夏休みに開かれた、いろいろな世代の大会を、かけ足でのぞいてみた。その感想を、思いつくまま書いてみよう。
まず、7月下旬に東京の“よみうりランド”で3日間、行われた「全国クラブ・ユース大会」を初日だけ、のぞいてみた。全国大会といっても、読売クラブ、三菱養和クラブ、神戸FC、枚方FCの4チームだけ。学校のサッカー部にははいらずに民間のサッカー・クラブにはいっている高校生たちによるユース・チームの大会である。
優勝した神戸FCは、ぼくが想像していたよりも、ずっとレベルが高く、チームとしてまとまっていた。兵庫県の高校チームの中に入れてもらえたら、かなりのところまで行くんじゃないかと思う。
読売クラブのユースには、個人技のいい選手が2、3人いる。抜き方がジョージ与那城に似ているのはご愛きょうである。見よう見まねの楽しいサッカーをやっている。
その翌日、静岡県の藤枝へ行って、総理大臣杯全国大学サッカートーナメントを準決勝から見た。この大会を、なんのために昨年から新たに始めたのか、ぼくには、まったく不可解である。
クラブ・ユース大会は、同じく19歳未満(協会登録でいえば第二種)のチームでありながら、高校選手権の仲間に入れてもらえないチームが集まって作ったものだが、大学チームは天皇杯に出られるし、大学リーグと冬の全国大学選手権もある。新しいタイトルを作る必要がどこにあったのだろうか。
「大学チームは試合のチャンスが少なすぎる」という意見があった。それで試合数を増やすために新しい大会を作ったのだったら、とんでもない考え違いである。
問題は、有望なタレントを集めている大学チームが「大学」だけの枠に閉じこもって、特殊なサッカーをしているところにある。レベルの違う地域からチームを集めた大学だけの大会を新しく加えても意味はない。
大学チームは“おとな”のチームで協会の第一種(年齢制限なし)登録である。日本リーグのチームも第一種である。第一種同士で、そして強いチームは強いチーム同士で試合をしたほうが役に立つ。大学のトップクラスは、日本リーグのチームと真剣な試合をする機会を増やしたほうがいい。
決勝戦は、法大−早大だった。法大は、楚輪と菅又の2人を日本代表のヨーロッパ遠征にとられていた。ちゃんとしたチームを出せない時期に、タイトルだけものものしい大会をやるのもナンセンスだ。結果は早大のガンバリズムが酷暑の中の連戦でものをいった。
大学トーナメントの次には、再び“よみうりランド”に戻って、全日本少年大会を5日間、たっぷり見せてもらった。
昨年、新しい名称で再スタートしてから、ずいぶん、はなやかで盛大になったが、問題点もある。
少年大会の期間中に、各都道府県の少年サッカー担当役員を集めた会議があり、そこで「全国少年サッカー育成連盟」を結成することが決まった。が、それはそれとして、その会議の席上で議論になった、もう一つの問題は「選抜FC」方式は、いいかどうかであった。「選抜FC」というのは、その地域の優秀選手を集めて、一つのチームをつくり、単独のクラブとして登録して、この大会に出てくるやり方である。優勝した清水FCをはじめ、ことしは、こういうタイプのクラブが増えていた。
「選抜FCと単独チームが争うのは不公平だから、選抜FCを禁止すべきではないか」という意見の人が、一部にいたようである。
崩れる学校中心
選抜方式の功罪については、もちろん議論の余地はあるが、選抜FC反対論の背景に「少年チームは小学校単位でなければならない」という考えがあるとすれば、間違っている。
全日本少年サッカー大会は、13歳未満の少年たちのチーム、つまり協会の第四種登録チームのための大会であって、第四種登録は小学校単位とは限らない。
二つ以上の小学校の児童で構成された少年団でもいいし、同じ小学校の児童によるチームが二つ以上あってもいい。スポーツのチームは、本来そういうものであって、「同じ学校の生徒だけ」とか「同じ会社の従業員だけ」というような制限を、上のほうから加えるのは間違っている。自分のチームの構成メンバーを、どのように選ぶかは、そのチーム自身だけの問題である。
そういうわけだから、選抜方式のFCであっても、単独チームとして協会に登録して出場する限り禁止する必要も、根拠もないはずだ。ただ、二重登録はいけないので新宿小学校6年生の山田君が「東京FC」の選手として出場しながら、同時に「新宿小チーム」のメンバーになるわけにはいかない。
「新宿小で出て負けたから、2回戦からは東京FCで出る」というのが不合理なことは、だれでもわかるだろう。同じ理屈で“補強”も認められていない。県大会で勝ったチームが、負けたチームから優秀選手を補強して全国大会に出ようとするのは「選抜FC」方式とは本質的に違うことである。そのあたりの理解が、まだ徹底していないようだった。
少年大会が終わったあと、今度は福島県の郡山に飛んで、全国高校総合体育大会サッカー競技の準決勝と決勝をみた。
これは「単一の高等学校の生徒をもって構成されるチーム」だけが参加する大会で、いわば特殊な全国大会である。ところが優勝した大阪の北陽高で決勝点をあげた松井毅君は、変わったキャリアを持っていた。松井君は、小・中学校のサッカー部の経験がない。小学4年生のときから、北陽高のグラウンドに通い、中学生のときには、練習試合では北陽高の選手にまじって出場したこともあるという。“北陽高FC”育ちというところである。
学校制度中心で固まっていたスポーツの枠が、いろんなところから変わりはじめているように思われた。
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