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サッカーマガジン 1976年7月25日号
時評 サッカージャーナル

代表チームと単独チーム

バルコムさんの意見
 日本リーグ2部の読売クラブの監督だったフランツ・ファン・バルコム氏は、今年から香港サッカー協会の専任コーチに就任している。先だってバンコクで開かれたアジア・ユース大会には香港のユース・チームを率いてきていたらしい。
 バルコムさんは、オランダ生まれで、本人のいうところによればオランダのジュニア代表にまでなったが、ナショナル・チームにははいれなかった。オランダのクラブでやっているときに、誘われてオーストラリアのチームに移り、間もなく、ひざの故障で選手生活を断念し、レフェリーをしながら コーチの勉強をしていた。
 そこへ、日本のサッカー育ての親であるデットマール・クラーマーさん(現バイエルン・ミュンヘン監督)が、FIFA(国際サッカー連盟)のインストラクターとしてオーストラリアに講習にやってきて、バルコムさんもそのコーチ研修会に参加した。
 そのとき、クラーマーさんから、西ドイツへ行って公認コーチの資格をとるようにすすめられて、西ドイツのケルン体育大学でサッカー・コーチのコースをとった。その当時の先生が、今度日本代表チームの監督になった二宮寛氏の恩師、ヘネス・バイスバイラー氏である。
 バルコムさんはさらにイギリスへ行って、イングランド・サッカー協会のコーチング・コースを受け、西ドイツへ戻って体育の先生をしながらアマチュア・チームの監督を務めていた。そのころに、日本の読売クラブが、西ドイツ西部地域協会のベッカーさんという事務局長に監督さがしを依頼し、ベッカーさんの推薦で日本にくることになった。
 読売クラブには、2年間の約束できたが、さらに1期延長し、結局2期4年間を勤め、日本リーグ2部で1回優勝、1回2位となった。つまり1部との入れ替え戦に出場するチャンスが2回あった。しかし2回とも1部入りを果たすことができずに退いたというのがこれまでの経歴である。
 バルコムさんは、読売クラブで、悪条件にもめげずによくがんばり、ユニークなサッカーを育てた、とぼくは高く評価している。しかし、ここでバルコムさんのことを長々と紹介したのは、彼の功績を称えるためではなく、彼が日本代表チームについておもしろい意見を残して香港に行ったので、その意見を紹介するために、彼のバックグラウンドを知ってほしかったからである。
 バルコムさんは「日本のナショナル・チームをアジアのナンバーワンにするには、4年間あればイージーだ」といっていた。
 このいい方は、多少オーバーなところもあるが、なぜ日本がアジアのナンバーワンになれるかというバルコムさんの根拠は、次のようなものである。
 @日本ほど少年たちが、まじめにサッカーをやっている国は、ほかにない(わがオランダの少年たちもサッカー場に行くが、彼らはマフラーや旗をもって応援に行くだけである)。
 A高校選手権を見ると、才能と技術のある若いタレントがかなりいる(彼らが大学に行って伸びないのは、大学のコーチがサッカーを知らないからに違いない)。
 B日本リーグのチームの選手たちは、西ヨーロッパのどの国のアマチュア選手よりも練習時間に恵まれている(東ヨーロッパの国や日本のトップクラスのチームの選手をアマチュアと呼べるとすればの話だが…)。

日立のヨーロッパ遠征
 以上の理由は、皮肉っぽい意見ではあるが、なかなか、うがっていると思う。鋭い見方として耳を傾けてしかるべきである。
 ところで、バルコムさんが日本のサッカーは、アジアのナンバーワンになれるという根拠としてあげた理由は、もう一つあった。
 C選手をかかえているそれぞれのクラブ(単独チーム)が、日本くらい協会のいうことを素直に聞く国はない。代表チームのトレーニングをしたいといえば、どのチームも喜んで自分の選手を提供している(西ドイツでさえ、クラブは代表チームのために十分に協力しているとはいえないし、イギリスやオランダでは、よほどのときでない限り、クラブの利益のほうが代表チームの利益の先に立つ)。
 この件に関しては、どうもバルコムさんの見方は、日本でも通用しなくなってきたようだ。
 先号に書いたヤンマーの釜本、吉村、阿部の3選手の問題もその例で、協会から代表選手に指名されても、一筋ナワではOKしないケースが表面に出てきたように思われる。
 この夏の日本代表チームのスケジュールを眺めてみても、これは一筋ナワでいきそうもない。
 7月中旬からソ連遠征が計画されている。そして引きつづきすぐ、8月上旬からマレーシアでムルデカ大会がある。ムルデカ大会から帰って1週間後には、もう日本リーグが開幕する。
 しかも、その間、日立は単独でヨーロッパに遠征するんだそうである。つまり、日立の選手は、この夏の日本代表チームの武者修業に加われないことになる。
 日立は単独で武者修業に出かけ他のチームは主力を日本代表チームにとられて、帰ってきた1週間後にリーグがはじまる。
 それで他のチームは納得するのだろうか。
 「今年の日本リーグは、日立の優勝だな」
 とだれかがいっていた。
 バルコムさんのいう、日本のサッカーの恵まれた条件のうちの一つは、やがてなくなる運命のようだ。それがいいことか、悪いことかは、ちょっと見当がつかない。


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