ムシのよすぎた日本案
はじめに、お詫びを書いておきたい。
前号の日本サッカー協会・小野専務理事へのインタビュー記事の中で、ぼくの原稿のまとめ方が舌足らずだったために「中国問題はなかった」という小見出しがついた部分があった。
いうまでもなく、モントリオール・オリンピック予選の東京開催中止の背景には、直接の原因となったイスラエル・チームに対する警備の困難のほかに、台湾が参加することによる中国問題のむつかしさがあった。そのことは、前号の時評で説明した通りで「中国問題もあった」といわなければならない。
前号のインタビュー記事では割愛したけれども、小野専務理事は話の中で「日本体育協会から中国問題で圧力を受けたために、大会中止に踏み切ったということはない」と述べている。小野さんのいいたいのは、東京予選中止を決めたのは、あくまで日本サッカー協会の自主的判断によるもので、警備当局や体育協会のさし図に従ったわけではない、ということだと思う。
小野さんが中国問題の重要性を無視しているのでないことは、記事全体をみてもらえばわかると思うが、国際的な問題だけに誤解されると影響が大きいから、補足しておくこととする。
さて、そのモントリオール予選(アジア第3組)だが、10月23日の参加チーム代表者会議で、ホーム・アンド・アウェー方式を採用することに決まった。アジア地域でも。ホーム・アンド・アウェーを採用するのが本当だというのは、ぼくのかねてからの主張である。このことは、ずっと以前からサッカー・マガジンの誌上に再三書いているし、英文のニュースレターで海外にもキャンペーンしている。
だから、ホーム・アンド・アウェーの採用が決まったら、同僚が「とうとう牛木さんの主張通りになりましたね」といってくれた。 しかし、ひどい回り道をしたあげく、苦肉の策として採用されたものだから、心から万歳を叫んでいいのかどうかわからない。
前号のインタビュー記事にあるように、日本を代表する小野専務理事は、5チームを二つのサブ・グループに分ける案を主張していた。日本、韓国、フィリピンで一つのサブ・グループを作り、その試合を東京でやる。残るイスラエルと台湾は別に試合をしてもらって、二つのサブ・グループの勝者同士で決定戦をする案である。
実をいうと、今年の1月ごろに、ぼくは小野さんに対して、ホーム・アンド・アウェーを採用すべきであると主張し、それがダメなら次善の策として、このサブ・グループ案はどうか、と進言したことがある。ぼくのねらいは台湾とイスラエルのやっかいな問題を避けることだったが、当時は「どちらにしても、他のアジアの国に受け入れてもらえそうもない」という話だった。
考えてみると、このサブ・グループ案には、ムシのよすぎるところがある。
近い国同士の小グループ同士の試合なら経費はそれほどかからない。そのうえ、イスラエル問題の面倒を避けられるとあれば、韓国が「それならばソウルで開きたい」といい出しても不思議はない。日本にだけ地元の利を与えることはないからである。
この方式を将来も
サブ・グループ案には、もう一つの難点がある。
それは、日本−韓国の試合が引き分けになった場合、比較的弱いとみられるフィリピンとの試合での得失点差で1位の決まるケースが出てくることである。
1967年に東京で開かれたメキシコ・オリンピック予選のときがそうだった。
日本と韓国が引き分け、ゴール・ディファレンス(得失点差)で日本がオリンピック出場権を獲得したが、ものをいったのは、日本が最初にフィリピンに当たって15−0で勝ったのに対し、最後にフィリピンに当たった韓国は、5点しかあげられなかったという事実である。日本のファンが祈るような気持で見守る中で、フィリピンは主将のパチェコを最後尾に下げて全員防御で韓国に対し必死の抵抗をしてくれた。
フィリピンが、開催地元の日本にひいきして、あのがんばりを見せてくれたのだとは、思いたくない。しかし、韓国のファンには、そう思われても仕方のないところだった。また、日本が今度もまた同じようなことが起きるのを期待して、サブ・グループの試合を日本でやると主張したのだったら、どうだろうか。地元の利をこういう形で期待するのは、フェアであるとはいいがたい。
以上のような難点は、多くのチームを1カ所に集めて、セントラル・トーナメント形式の予選をやろうとするための弊害である。ホーム・アンド・アウェーなら、このような弊害を少なくすることができる。
日本−韓国の試合を、東京で1試合、ソウルで1試合する。双方に地元の利があり、ともに入場料収入を得ることができ、日本のファンにも韓国のファンにも、いい試合を見るチャンスがある。これはホーム・アンド・アウェーの利点である。
モントリオール予選をホーム・アンド・アウェーの原則でやることになったのは、トラブルを避けるための苦肉の策だったが、この機会に、この方式の利点が認識されれば、これまでの回り道も必ずしもムダではなくなる。今後ともこの方式がアジアで定着したら、そのときこそ万歳である。
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