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サッカーマガジン 1975年11月25日号

日韓比の三国による1次予選を東京で!

モントリオール五輪
10月の東京予選中止の真相と今後の見通しを直撃インタビュー
日本サッカー協会・小野卓爾専務理事

 「10月初旬に東京で開催する予定だったモントリオール・オリンピックの予選を、なぜ中止したのか。日本サッカー協会の明快な説明がなければ、とうてい、納得できない」というファンの声が強い。そこで参加予定チームによる10月23日の国際会議を前に、日本サッカー協会の実力者である小野卓爾専務理事に直撃インタビューを試みて、10月の東京予選中止の真相と今後の見通しを語ってもらった。 
 2時間にわたって、せつせつと真情を吐露したインタビューのすべては、ここに紹介しきれないけれども、これまでの本誌の報道とあわせて読んでいただけば、複雑微妙な政治社会情勢の中で苦悶する日本サッカー協会の姿を知ることはできると思う。
(10月15日、体協・日本スポーツマン・クラブ)

中止は協会の意志だった
 ―― 10月のオリンピック予選東京開催を、半月前に突然中止した理由を、日本サッカー協会は“諸般の事情”としか発表しなかった。これではとうてい納得できないという声が強い。ぜひとも、明快な説明を聞かせてほしい。

小野 東京で予選をやろうと考えたのは、日本代表チームに地の利を得させ、かつ日本で競技会をやることによって、日本のサッカーの盛りあがりを期待したいと思ったからだった。これは当然のことだろうと思う。もちろん、イスラエルと台湾の問題があることを知らないわけではなかった。イスラエル・チームを過激派が襲う心配については、政府のかなり高いレベルの人を通じて警備当局の見通しを聞いてもらって、その時点では「やれそうだ」ということだった。それで予選競技会の誘致に踏み切ったわけだ。

 ―― 4月に東京開催が決まったわけだが、その後、9月までのあいだに情勢は変わったのか。  

小野 はじめは、三菱重工ビル爆破の過激派グループがつかまったりして、情勢は良くなっているように見えたんだけれども、その後に過激派グループの活動がふたたび目立つようになったし、天皇ご訪米の時期とも重なって、警察当局でも、非常にむずかしいと思っている様子が感じられた。  

 ―― 小野さんの自宅に脅迫電話があったということだが……。

小野 ある朝、突然電話があって「われわれは、あくまでイスラエル・チームの入国を阻止する」と一方的にしゃべって電話を切った。それにおびえるつもりは、まったくないが、ただ過激派グループがサッカーのオリンピック予選に目をつけていることだけは、この電話で明らかになった。 

 ―― 結局、イスラエル・チームに対する警備の困難が中止の決定的埋由になったのだろうか。

小野 われわれが警視庁に乗り込んで、大会をやるから協力してくれといえば、警視庁は、「できるだけの協力はする」というだろう。向こうから「やめてくれ」とか「困る」とかはいわない。こっちだって、できるものであれば、警察が「やめてくれ」といったって、やめはしない。中止するのは、われわれの意志で決める。ただ、警備当局の中の重要なポストにいる人で、スポーツに好意的な人が、「大会をやるというなら、われわれも協力しなければならない。しかし、重点は自主警備になりますよ」とアドバイスをしてくれた。協会で自主警備をやるとなれば、学生の協力とガードマンしかないが、国立競技場をそれで守り切れるわけはない。そのうえ、学校の先生たちは、そういう状態では、ボール拾いの生徒も出せないという。そのような、いろいろの状態を総合的に判断して、とにかく中止して次善の策を検討しよう、ということにした。あくまで強行しようとするのは「暴虎馮(ひょう)河の勇」(虎を素手で打ち、大きな川を歩いて渡るような無謀な勇気)だ。

台湾の問題はなかった              
 ―― ちょうど予選開催中止がせっぱつまったときに、中国のほうから日本体育協会に対して、台湾を招いて競技会を開かないことなどの、きびしい申し入れをしてきた。サッカーの予選が対象になっていたのだから、当然、これは聞いていたと思うが……。  

小野 もちろん聞いている。中国のサッカー協会とは、48年4月に「台湾とは交流しない」という約束で会談紀要に調印している。しかし、その当時から、われわれは「現在のところは、台湾がFIFA(国際サッカー連盟)の加盟団体だから、オリンピック予選などで同じグループになることは当然考えられる。そういう事態を避けるように努力はするが、同じグループにはいった場合に、オリンピックを棄権するわけにはいかない」と繰り返して中国側に表明している。昨年秋の千葉国体のとき来日した中国スポーツ界の代表団にも、そう伝えてある。しかし、向こうは「イエス」とも「ノー」ともいわなかった。まあ、いえる立場でもないと思う。8月に藤枝東高のサッカー部が訪中したとき、藤田理事がいっしょに行って話をしたが、これもいい結果ではなかった。  

 ―― 中国側は、会談紀要で約束したことを守ってくれ、ということらしいが……。  

小野 しかし、オリンピックのように、日本の意志で組み合わせを決めるわけにいかないようなケースでは、文字通りにはいかない。文面には出ていないけれども、一種の紳士協定で暗黙のうちに了解してもらわなければ、どうしようもない。したがって、中国側が了解しなくても、オリンピック予選をやめるわけにはいかない。お国柄が違うから、理解してもらえないのは、やむをえないことかもしれないけれども、オリンピックに出場することは、日本サッカー協会の大きな目的の一つで、これは、はじめからわかりきっていることなんだから――。しかしながら、このために中国との関係が一時的につめたくなったとしても、中国を代表するサッカー協会は、ただ一つ、中華人民共和国のサッカー協会であるという、われわれの認識は変わるものではない。中国がFIFAに復帰するために、日本が最大の努力をするという意志は変わらない。 

 ―― 台湾が参加する場合に、日本国内で問題はなかったか。 

小野 あらかじめ、外務省の意向は聞いていた。日本政府は、中華人民共和国と国交をもっていて台湾との関係を断っているから、政府としては好ましくないが、台湾チームの日本入国は、貿易関係者などと同じように、香港で入国許可をとって来日する方法がとれる見通しだった。ただ、日本政府が国旗としては認めていない台湾の旗を掲げるようなことには問題があるようだったけれども、これは解決する道があると考えていた。

サブ・グループ方式を
 ―― このインタビューを掲載した号が出るころには、すでに結論が出ているかもしれないが、今後はどう収拾する方針か。 

小野 10月23日に関係チームの代表者会議を開いて相談するわけだが、私としては、グループを二つに分けて、日本、韓国、フィリピンの3チームによる予選競技会を東京で開くようにしたい。予選の時期は来年の3月ごろになる。残りのイスラエル、台湾、南ベトナムの3チームは、別のグループで予選会をやり、両グループの勝者同士で来年4月15日までに決定戦をやる。その決定戦を安全かつ平穏にやれるようにFIFAとAFC(アジア・サッカー連盟)に協力してもらいたい。 

 ―― いまとなっては、南ベトナムは事実上参加不可能だろうが、二つのサブ・グループに分ける案は、台湾やイスラエルに関するトラブルをできる限り避けるためには、なかなかいい案だと思う。日本が東京開催に立候補する前の今年1月ごろに、ぼく(牛木)がこの案を小野さんに進言したはずだ。先見の明を誇るつもりではないが、あのときに、この案が採用されていれば、もっとすっきりしていたのではないか。        

小野 たしかにアイデアはいいと思ったが、協会内部で意見を聞いたところ、アジアの各国が賛成してくれないだろうとのことだった。だから、あの時点で実現させるのは、むずかしかったという判断だ。 

 ―― 9月17日の理事会で10月の東京開催中止を決定したときに、いま小野さんが話したような事情を理を尽くして説明すれば、新聞の報道を通じてファンの理解を得られたはずだが……。 

小野 自分としては、そうするつもりだったのだが、記者会見のやり方もまずく、一部に無用の誤解を招いてしまったかもしれない。われわれとしては、国をあげての声援のうちに、日本代表チームに実力を発揮させて、モントリオールに送り出したいという一心だ。そのために、現在もなお努力中であって、中止か、延期か、返上か、わけのわからない発表だという批判を招いたのも、次善の収拾策を求める時間がほしいあまりだった。スポーツを通じて世界の人たちの理解を深め、平和に寄与したいという理想が、いろいろな事情で曲げられるのは実に残念だし、若いファンの人たちに、暗い影を見せる結果になったのは無念だとしかいいようがない。しかし、やむをえない事情も、ご了解いただきたいと思う。将来の問題としていえば、オリンピック予選などは、ヨーロッパでやっているように近くの国同士で、ホーム・アンド・アウェーでやるのが本当で、遠いイスラエルと組まされるのはおかしい。中国のFIFA問題も、中国の加盟が近い将来に実現すれば解決することで、そのために日本も努力することを、改めて明言しておきたい。


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