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サッカーマガジン 1974年10月号
牛木記者のフリーキック

●日本人のサッカー常識
 テヘランのアジア競技大会に、多勢の日本人記者が取材に行っている。アジア大会は、いろいろな競技を集めた総合的なスポーツ大会だから、行っている記者は必ずしも、サッカー担当の経験がある者ばかりではない。それどころか、スポーツ専門でない記者も多い。しかし、だいたい30歳台の各社のホープさんたちで、穏健な現代的感覚を持ち、平均点以上の常識を備えた日本人である。
 ところが、ことサッカーに関しては、このホープさんたちの常識を疑いたくなるような記事がある。サッカーの技術、戦術に関する専門的記事ではない。そういうものは、ほとんど専門記者が書いているから、そう見当違いはない。奇妙なのは、社会ダネ風の一般記事に登場する“サッカー”である。
 「ことイランに関しては、サッカーが大会の人気スポーツ。入場料金も、他の競技よりも高くなっている」
 と書いてある記事があった。 
 世界のサッカーについて、よくご存じの読者のみなさんに、説明するまでもないことだが、サッカーがその国最大の人気スポーツであるのは、世界中いたるところに見られる現象であって、イランだけの特殊な事情ではない。大会の入場料収入の中で、サッカーが大きな比重を占めるのは、過去のバンコクやジャカルタのアジア大会でも、ご同様であった。
 したがって「ことイランに関しては」という表現は、ぼくの“常識”には引っかかる。ここは「イランでも、これまでの大会開催地と同様に――」と書いてもらいたい。 
 次のような記事もあった。
 「テヘランでは、いまサッカーブーム。ここ数年の間に、サッカーの人気は、お家芸のレスリングや重量あげを圧倒する勢いになっている」 
 何をいってるんだ――とぼくは思う。サッカーがイランでも最大の大衆的人気スポーツであるのは、ずっと以前からのことで、ここ数年にはじまったわけではない。 
 それに、レスリングや重量あげのようなまったく性質の違う競技と比較するのも、見当違いである。オリンピックでは、レスリングと体操が日本のお家芸だが、「最近、プロ野球の人気が、体操やレスリングを圧倒する勢いになってきた」なんて書いたら常識を疑われる。
 「要するに“平均的日本人”、いや平均以上の日本人にも、サッカーはまだまだ、知られていないんだな」と、ぼくは嘆息した。

●アメリカ選抜チームの来日
 8月中旬にアメリカのアマチュア選抜チームが来日して、テヘランに出発する直前の日本代表チームと3試合をした。最終戦に7−0で日本が大勝したスコアが示すとおり、まじめで好感のもてるチームではあったけれども、あまりレベルは高くなかった。このチームを、この時期に招いたことや、試合運営(興行といってもいいだろう)のやり方については、サッカー協会に対して、いろいろな批判も出ているように聞いているが、それらは、いずれ詳しく調査のうえでとりあげることにして、ここでは一つだけ、気のついたことを書いておこう。
 来日したアメリカのチームの名称は、最初は「アメリカ・オリンピック・チーム」という触れこみだった。ところが、来日してからきいてみると、ミュンヘンのオリンピックに出場した選手は、ひとりしかいないという。「あとは、みんなプロになってしまった」のだそうだ。
 「それじゃ、このチームは、次のモントリオール・オリンピックに備えて、新たに編成されたものですか」
 ときいたら、
 「いや、モントリオールに、どのような顔ぶれで出るかは、まだわからない」
 という。 
 それじゃ“オリンピック・チーム”と称するのは、おかしいんじゃないか、とぼくは思った。要するに、この8月の時点で集められるメンバー、つまり夏休み中の大学生を中心にチームを編成してきたらしい。 
 試合のプログラムを見たら「日米対抗」とれいれいしく銘打って「アメリカ代表チーム」と書いてある。これもおかしい。ミュンヘンの代表が、みなプロ入りしたことからもわかるように、アメリカのサッカーには、れっきとしたプロがある。国の代表チームといえば、プロを含めた、その国の最強メンバーであるのが、国際的なサッカーの常識だろう。来日したチームは「アメリカ・アマチュア選抜」と呼んでおくくらいが適当である。 
 こういうふうに、看板を偽りたがる人が、協会の責任者のなかにいるのであれば問題である。かっこいいタイトルをつけたほうが、お客を呼べると思うのかも知れないが、ファンは決して無知でも馬鹿でもない。包装と中味が違うことは、すぐ見破られて、国際試合を見にくるお客さんを、しだいに減らす結果になりかねない。

●協会の雑誌「サッカー」の廃刊
 日本蹴球協会の雑誌「サッカー」が廃刊になった。
 「廃刊になった」とひとごとのようにいうのは、実は気がひける。ぼく自身の気持ちとしては「廃刊にした」と書きたいくらいのところであり、また「廃刊させられた」といいたくなるような事情もある。
 協会の雑誌「サッカー」については、協会の実力者、小野卓爾氏の依頼を受けて、昭和33年以来、ぼくが編集のお手伝いをしていた。途中、事情があって、一時手をひきかけたことはあるが、結局、17年間に出した128冊のうち、半分以上は、ぼくが原稿を集め、レイアウトをし、校正をした。もちろん、ちゃんと責任をもってくれる(つまり、ぼくが勝手なことをしたときに、しりぬぐいをしてくれる)編集長が別におり、ほかにも編集を手伝った人は、延べにすれば多勢いたので、ぼくひとりで雑誌を出してきたわけではない。いわば、ぼくは雑務をやっていただけではあるが、長い間つき合ってきた協会の雑誌だから、やめるとなると身を切られるように残念な気持である。
 しかし、この協会の雑誌「サッカー」は、もう廃刊にするほかはない苦しい状況に立たされていた、石油危機のあとの紙代、印刷代の高騰のため、協会の財政状態からみて、これまでのやり方では、とうてい経済的にやっていけないという事情もある。だが、それ以上に、原稿集めから校正までを、本業の片手間に奉仕するという仕事に、ぼく自身、時間的にも、肉体的にも、経済的にも耐えられなくなっていた。ほかに手伝う人がいなくなったので、最後はひとりで、がんばっていたが、毎月発行の予定は遅れるばかりである。
 そういう状態のときに、日本蹴球協会が財団法人に切りかわることになり、役員の顔ぶれにも異動があった。
 「この機会に雑誌の発行は再検討したい」と小野卓爾氏から、えん曲にお話があり、発行を打ち切ることにしたわけである。
 協会の雑誌には、長い間、少数だが熱心な読者があった。最後の号に、お別れの編集後記を書いたら「もう少し、がんばれ」と、わざわざ、お葉書をくださった方もある。そういう方たちに、力の足りなかったことを、サッカーマガジンの誌上を借りて改めて、おわびしたい。 
 現在の協会役員の中には「協会の雑誌なんか必要ない」という意見があるらしい。ぼくは、協会の雑誌には、商業誌とはまた違った使命があると信じている。とりあえずは、協会の事業や各種大会、試合の記録が、散失してしまうことが心配である。新しい法人の手で、せめて年鑑くらいは、毎年まとめてもらいたいと思う。


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