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サッカーマガジン 19721年7月号
牛木記者のフリーキック

●ヨーロッバかけ歩き
 3月のことだが、フランス航空の御好意で、ヨーロッパヘ行く機会があった。直接の目的は、ミュンヘンのオリンピック準備視察といったところだが、ぼくとしてはついでに本場のサッカーを一つでも多く見ておきたい。
 出かける前から試合の日程を調べ、入場券を確保するために、ぼくの勤めている新聞社の支局を動員し、行ってからもサッカーの切符ばかり気にしていたから、いっしょに行ったほかの社のスポーツ記者は「こいつの本当の目的はどっちなんだ」と、ぼくの頭を疑ったに違いない。
 ミュンヘンでブンデス・リーガ(全国リーグ)のバイエルン・ミュンヘンの試合、ロンドンでUEFAカップ準々決勝トットナム・ホッツスパー対UT・ARADブカレスト第1戦と、ヨーロッパ・チャンピオンズカップ準々決勝アーセナル対アヤックス・アムステルダム第1戦を見た。10日間のかけ歩きに3試合である。
 招待してくれたフランス航空には申しわけなかったけれど、パリは「この次の機会に」といって、通過だけで失礼した。サッカーの好カードがなかったんだから仕方がない。
 技術的、戦術的にもいろいろ勉強になったのだが、くわしいことは機会があったら改めて紹介させてもらうことにする。ここでは、テレビや雑誌を通じてでは、ちょっと気のつきにくいことを2、3書き留めておこう。
 @入場券は地元クラブ(チーム)を通じて手に入れるか、スタジアムに行って買う以外に入手の方法がない。東京のように、至るところのプレイガイドで売っているようなことはない。だから短期滞在のフリの旅行客には、なかなか厄介。
 入場できるかどうか分からないのに、わざわざ旅費をかけて、ロンドンを回るわけにはいかないからである。もっとも「心配するな。3倍払えば必ず手に入るよ」と、妙な激励をしてくれたドイツ人もいた。
 Aイギリスでは試合のプログラムを、地元チーム(クラブ)が1試合ごとに作って、シーズンごとに通し番号をつけている。毎試合スタジアムに通えば、そのチームのプログラムのバック・ナンバーがそろうわけである。
 プログラムの裏表紙のかどに、次の試合の切符の予約券が刷り込んであって、三角形に切り取るようになっている。したがって毎週見に行っている限り、切符が買えなくなる心配はない仕組み。
 Bプログラムには、その日の両チームの予定メンバーとともに、審判の名前が印刷してある。線審については「スミス氏(黄)、バーテンショー氏(赤)」というようになっている。赤、黄というのは手に持つ旗の色である。
 帰国して、この話を日本リーグの人にしたら、さっそくアナウンスで「ラインズマンは赤のフラッグが浅見氏……」とやっていた。 しかしアナウンスだけでは徹底しにくいようだ。
 まだ、いろいろあるが、この程度にしておこう。
 最後に申しわけにミュンヘンのことを一つ。
 オリンピックのメーンスタジアムは、すばらしい緑の芝生で、地下には温水パイプを通し、冬季にローン・ヒーティングで芝を守るようになっている。オリンピックは8月26日から9月10日まで。したがって、この設備はもちろん、冬のサッカーのためのものである。

●ニア・ポストに食い込んだら
 サイドから相手のバックをかわして切り込んで、近い側のゴールポスト(ニア・ポスト)のきわまで食い込んだ。さあ、どうする……。スタンドから見ていると絶好絶対のチャンス。ところが現実には、なかなか得点にならない。よくある場面である。
 日本リーグの試合を見ていると、たいていの選手が、ゴールラインぎりぎりからの折り返しを、まずねらっている。低いゴロのパスをゴール前に通す。あるいは急角度の浮きダマでキーパーの頭越しに逆サイドにゆさぶる。これがなかなか、むつかしい。ゴール前のせまい地域だから、相手のキーパーやバック・プレーヤーにひっかかりそうに思える
 ロンドンで見た試合で、同じような場面がなんども出てきたのだが、あちらのプロ選手たちは、そうなったら、まずゴールポストとゴールキーパーの間をついて、直接シュートすることをねらっているようだった。それを見てきた直後だから、日本リーグの選手たちが、まず折り返しをねらっているように思われるのは、なんとも歯がゆかった。
 相手のゴールキーパーにとっては、ポストの方にへばりついて守るのは、効率が悪い。ポストの外側は場外だから、自分の守備範囲は、体の片側だけにせばまってしまう。それに折り返しで逆をとられては、ゴールががらあきになると思うから、本能的に前へ出て、ポストとの間をあけて、守ろうとするものらしい。そこをつく。
 1970年のメキシコ・ワールドカップの記録映画に、このような得点の典型的な場面が出てくる。準々決勝のブラジル対ペルー。ブラジルの2点目がそれだ。
 ほとんど角度のないところからトスタンが決める。そのシーンに続いて、ペルーのガラルドが1点を返すところが映る。どちらも、まったく同じように、近い方のポストとキーパーの間を抜く。
 ポルトガルのエウゼビオは、また別のやり方をやって見せた。 1970年の9月に日本に来たとき、左のポスト近くに食い込んだエウゼビオは、ゴールライン上から、ふわりとキーパーの頭上を越えて浮きダマをあげた。
 ボールは生きもののようにカーブして、遠い方のポストの内側に入った。こんなことができれば世話はない。

●サントスFCと新聞社
 ペレのサントスFCを日本に迎えることができて本当によかったとぼくは思っている。来日のあっせんをする人物がいろいろ介在して、万国博のときのブラジル館の世話をした人たちだとか、なんとか教団だとか、事情はなかなか複雑だったらしいけれど、ファンにとっては、試合を見ることができなければ、話にならない。大いに感謝してしかるべきである。
 「今だから話そう」というようなことだが、5年ほど前にも、サントスFCを招こうという話が出たことがある。まったく偶然に、読売新聞と毎日新聞が、サントス招待を思い立ち、手紙を出して先方の意向を打診した。
 サントスFCのほうは、日本の二つの新聞社から同時に意向をきかれたものだから、びっくりして(あるいは喜んで)、日本のサッカー協会に問い合わせの手紙を出した。協会はいろいろ偉そうなことをいっていたが、結局両方ともつぶしてしまった。理由は「国際試合の交渉は、協会対協会でやる。間に第三者が介在しては困る」ということだった。
 新聞社としては、本当は自分たちのアイデアで思い立ったわけではない。南米系のエージェントが事業部へ持ち込んできたものだから、まずサントスのほうへ問い合わせ、来日の意向がはっきりしたものだったら、協会へ取りついで、まとめるつもりだった。
 協会を無視するつもりはもともとない。協会を無視したら、第一、相手チームを選べない。そういうつもりだったのに、頭ごなしにやられたのでは、感情的におもしろくないのは当然である。
 今回のサントス来日には、明らかに第三者が介在している。テレビ中継をした毎日放送、万国博関係の某エージェント、なんとか教団などである。毎年来日する英国のプロチームも、イギリスの旅行業者のテーラー氏が間に立っている。そういう実情だのに、日本の新聞社事業部があっせんしようとしたら、頭ごなしに、つぶしにかかったのでは、筋が通らない。「もうサッカーなんか相手にするな」といきまく事業部をなだめるのに、ぼくは苦労した。ぼくの見るところ新聞社の力は大きい。事業部を怒らせるのは賢明でない。
 今回のサントス来日は、まことに結構だけれども、釈然としない向きがあるのは、たしかである。


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