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サッカーマガジン 19721年4月号
牛木記者のフリーキック

北海道にサッカーを
 札幌で開かれた冬のオリンピックを取材にいって気がついたことが一つある。1300人の選手たちが生活しているオリンピック村にいくと、村の中心の広場で、いついっても選手たちが、雪の上のサッカーをやっていることである。
 広場の両サイドに、雪を積んで2メートルくらいの間隔の目じるしを作れば、たちまちゴールができる。踏み固めた雪の上に、白黒のボールをころがして、選手たちが3対3くらいのサッカーをやっている。夕暮れになるまであきもせずにやっているのは、日本の子どもたちが、空き地で三角べースの野球をしているのと同じである。
 アマチュア問題で大きな話題になったオーストリアのアルペン・スキーの英雄、カール・シュランツ選手も、サッカーに興じて、憂さばらしをしていた。スピードスケートで金メダルを三つとったオランダのアルト・シェンク選手ももともとはサッカーのゴールキーパーだそうである。1メートル90の巨漢だから、そうだろうと思わせる。
 愉快だったのは、スキーの女子滑降と大回転で、オーストリアやフランスの優勝候補を押さえたスイスのマリテレーゼ・ナディヒ選手だ。リンゴのようなほっぺたをした17歳の少女で、これまでは、まったく無名だった。スイス選手団のパンフレットをみたら、趣味のところに「読書、編みもの、サッカー」と書いてあった。スイスでは女の子もサッカーをやるらしい。
 スキーのジャンプで世界チャンピオンになったことのあるノルウェーのビヨルン・ウイルコーラは、ノルウェー・リーグで、一流のサッカー選手として活躍しているそうだ。
 こうやってみると、ヨーロッパの冬のスポーツ選手は、夏にはみんなサッカーをやるらしい。女子のナディヒはともかく、男の選手は余技でなく、本格的なサッカー選手なのである。
 日本のスポーツ選手は、一年中一つの競技ばかりやり過ぎるので、猛練習の割りに、大きく伸びないのではないだろうか。
 夏の暑いさかりに、プラスチックのブラシを細長く敷いて、その上をスキーで走っている写真を見たことがある。「札幌に備えて、汗だくの特訓」ということだった。日本選手でも、70メートル級で金、銀、銅を独占した笠谷選手らのジャンプ陣は、トレーニングにサッカーをしたそうだ。
 この札幌の教訓を生かして、北海道の夏のスポーツとして、サッカーを大いにやるべきである――というのが、ぼくの意見である。
 驚いたことに、札幌にはサッカーの正式試合を、有料でやれる競技場が一つもない。だから日本リーグの試合を持っていくこともできない。市営の陸上競技場を改装するそうだが、いぜんとしてサッカーのやれない設計なんだそうである。「これは北海道にとって大きなソンですよ」と、札幌市長あてに投書しようかな、と思ったりしている。
(編者注=45年4月号で本誌に紹介した北海道の異色教員チーム、「夕陽クラブ」の函館工専助教授の渋谷道夫氏が中心となり、競馬場の余暇利用の先がけとして函館競馬場内に、国際試含もできるグリーンのサッカー場を建設しようという運動が実り、このほど実現が決定したと知らせがあった)

松田コーチの辞任
 日本蹴球協会の松田輝幸コーチがやめるそうである。やめるというのは、協会から給料をもらっている専任コーチ(協会では技術職員といっている)を辞任することであって、サッカーから足を洗うわけでは、もちろんないだろう。広島へ帰って、高校の先生に戻るという話だが、今後ともサッカーのために、その才能をフルに生かしてもらいたい
 松田コーチは、昭和42年東京教育大学卒業で、現在27歳。まだ若い。44年の夏にクラーマーさんが来日して開いたFIFAコーチング・スクールに、広島から推薦されて参加した。
 コーチング・スクールでは最後に実技と理論について試験をしたが、松田コーチは実技の成績がトップだったそうである。それでクラーマーさんの推薦で、日本蹴球協会の専任コーチになった。クラーマーさんにしてみれば、せっかく多くのお金と時間を使ってコーチング・スクールをやったのだから、その成果が活用されるように願ってのことだっただろう。
 クラーマーさんの目に狂いがなかったことは、46年のアジア・ユース大会で、日本チームのコーチを勤めたときに、うかがうことができた。日本は準決勝で韓国と引分け、PK合戦で決勝進出をのがしたが、その試合ぶりは、十分見ているものをなっとくさせた。コーチの能力は、結局、指導したチームの成績によってみるほかはない。
 しかし、本当に一流のコーチになるためには、経験が必要である。松田コーチは、ユース指導3年の経験を積んで、「さあ、これから」というところだった。ここで松田コーチを協会が引止められなかったのは、まったく惜しい。「FIFAコーチング・スクールは、3000万円近くも使った割りには成果がなかった。浪費だった」という声をきく。ぼくは、成果を長い目で見るべきだと思っているが、3年前の“浪費”が、現在の協会の財政難の起点になったのは事実だそうである。ここでまた松田コーチを失って、協会は浪費の上に浪費を重ねることになった。
 松田コーチを東京に送り出すときに、広島のサッカー界には「日本蹴球協会に預けても満足な使い方をしないに違いない。広島で発掘した才能なんだから、広島に置いて活用したほうが、いいんじゃないか」という声があった。
 その後、松田コーチが、協会事務局の机に向かって、つまらなそうな顔をしているのを見るたびに「広島の人たちが、心配していた通りだったのではないか」と、ぼくもひそかに案じてはいたのだった。
 こうなってしまった以上、くどくどいっても仕方はないが、協会は今後、専任コーチ(技術職員)の活用の仕方を、もっと真剣に考えてほしい。また広島の人たちには、松田コーチの才能を、広島のためだけに閉じ込めることのないよう、特にお願いしたい。

単独チームの海外遠征
 ペレの“サントスFC”が、やっと来日することになったらしい。たった1試合とはいえ、この世界スポーツ界最高の天才児のプレーを、日本で見られるのは、万々歳である。東京で直接試合を見ることのできる人は限られているのだから、願わくはテレビ放送が全国にネットされんことを――。不安な人は地元の民間テレビ局に、どんどん葉書を出して脅迫――ではない、お願いをしろ!
 ところで、このサントスは、昨年8月に来日する予定だったところ、突然中止になったチームである。
 あのとき中止になったのは、ブラジルのサッカー協会であるCBD(ブラジル・スポーツ連盟)が、横ヤリを入れたからだということだった。
 なぜ横ヤリを入れたかといえば、同じ時期にブラジルの国内選手権が予定されていて、サントスはそれに出ないで、海外遠征をすることになるからである。このように加盟登録しているチームが、その国(協会)の選手権に参加するのは、権利であると同時に義務でもある。
 しかし、協会が単独チームの海外遠征を差し止めるのは、ごく例外的なケースである。国内で加盟チームとしての権利と義務を立派に果たしているチームが海外遠征する場合、協会が自分勝手な思惑で、それを禁止するような横暴をしては大変だ。
 前に関東リーグ優勝の甲府クラブが海外遠征をしたとき「あの程度のチームを外国に出していいものだろうか」と、ぼくに疑問を述べた人がいた。
 「大いに結構じゃないですか」と、ぼくが答えた。
 日本の国威発揚のために外国に行くわけではない。アマチュア・チームだから、第一に自分たちの趣味として遠征するわけだが、同時に国際的な友好親善を深め、技術の向上にも役立つ。先さまに迷惑でない限り、あらゆるレベルのチームが外国に出かけて、よろしかろうと思う
 ことしは日立とヤンマーが東南アジアに出かけた。
 前には神戸のジュニア・チームが遠征した例もある。まことに結構である。
 このような単独チームの海外遠征を、政治的、人種的あるいは思想的な理由や思惑で差し止めようとすることは、決してあってはならない。
 かりに、政府その他外部の団体が、そのような干渉をしようとしたときは、スポーツ団体である協会は、その干渉をはね返す努力をすべきであり、お先棒をかつぐようでは、お話にならない。
 FIFA(国際サッカー連盟)加盟のアジアの国で、AFC(アジア・サッカー連盟)に、はいっていない国がある。「AFCに入ってない国との交流は、やめてもらおうじゃないか」という人がいるそうだ。これは完全に政治的意見である。
 AFCはアジアのFIFA加盟国全部を入れるべきだのに、一部の国を口実を設けて入れようとしない。
 この点についてFIFAはかねてからAFCに文句をいっているくらいだから、交流しちゃいけないなんて規則は、ありっこないのである。
 こういう問題が、近い将来、表面に出そうだから、あらかじめ釘を刺しておく。


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