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サッカーマガジン 1971年8月号
牛木記者のフリーキック

●清水と甲府と大宮と
 全英アマチュア選抜の “ミドルセックス・ワンダラーズ” が来て、はじめの4試合は、東日本の地方都市で行なわれた。秋田の第1戦は見にいけなかったが、そのあとの甲府、大宮、清水とまわってみて、地方都市でのサッカー振興について、いろいろ考えさせられた。
 ふんい気が、いちばん良かったのは甲府である。みどりの山なみに囲まれて地方色が豊かにあふれ、ワンダラーズの会長さんが「故郷のウェールズに帰ったようだ」と喜んでいた。
 サッカー場へ行くときに乗ったタクシーの運転手さんが「きょうは、これであがって、私も試合を見にいくんです」という。甲府のリーグは、50チームくらいもあって、自分もその一つでやってるんだそうだ。
 会場では甲府クラブの川手オーナー、保坂監督(元全日本のゴールキーパー) が中心になって世話をしていた。サッカーの盛んな町に、地域に密着した強いチームがあり、それらがこぞって外国チームを迎えたという感じである。
 大宮では東京オリンピックのときに作ったサッカー専用競技場にナイター設備がついて、そのナイター開きにワンダラーズの試合をした。神戸のサッカー場そっくりのコーナ・ライティング (四隅から照らす方式) で、非常に明るい。見やすいという点では東京の国立競技場の比ではない。このナイター設備は埼玉県サッカー協会の福永健司会長を中心に、県協会と県当局の異例の努力でできたのだという。
 地元の浦和クラブが、もうちょっと強くなって、地元の試合をナイターでやって、お客さんが集まるようになれば、どんなに、この設備が役に立つことだろうか。
 競技会の運営は、静岡県の清水が、いちばんすばらしかった。好天の日曜日ということもあって、スタンドは1万1千の観衆で、ほほ満員。会場周辺の交通整理は、地域の交通安全会のおじさんたち、ボール拾いは清水のサッカー少年団、向こう正面には「清水サッカー友の会」の横幕、場内放送は美声のアナウンス嬢。
 清水サッカー協会の人たちが、自分たちはエンの下の力持ちになって、幅広く、多くの人の力を集めようとしている気持ちが感じられた。一部のサッカー関係者だけの“ひとりよがり”でないところがいい。
 清水のように幅の広い底辺を動員し、甲府のように地域に密着した強いチームが、大宮のようなナイター設備のある地元グラウンドで試合をするようになれば、もうヨーロッパや南米の都市に負けない“サッカー王国”だといっていい。

●大物事務局長がんばれ!
 先月号で、日本蹴球協会に、新しい大物事務局長が来たことを、ちょっと紹介した。
 6月3日の評議員会で新事務局長は正式に承認され、理事に選ばれた。
 新事務局長は、沖朗(おき・あきら)氏。58歳。全日本の岡野俊一郎監督と同じ、東京の府立五中(現在の都立小石川高校) を出て、一高、東大でサッカーの選手だった。小柄でものごしは柔らかだが、シンの強い人だという話である。
 ことしの3月までは、三菱倉庫の取締役神戸支店長だった。6月4日付けの読売新聞運動面に、新事務局長が決まったことを、一段のベタ記事でのせたら、解説部の人がきて「三菱の重役ともあろうものが、辞任して一競技団体の事務局長になったのは、どういうわけだ」という。
 いろいろ説明した結果、解説部では、沖さんに直接インタビューをして6月6日付け (地方では7日付け) の朝刊4面に大きく記事をのせた。なかなか、よく書けていたから、興味のある方は、図書館で古新聞のとじ込みか縮刷版をひっくり返して読んでみていただきたい。
 しかし、「サッカー・マガジン」を以前から読んでいる人なら、協会に“大物事務局長”が必要である理由をよく御存知のはずである。本誌の45年1月号に、ぼくが日本蹴球協会の篠島秀雄副会長 (三菱化成社長) にインタビューした記事が出ている。あの対談のときに、篠島さんは、日本のサッカーを、これ以上発展させるためには、協会の機構を改革し、組織を建て直す必要があること、そのためには、しっかりした事務局長を置かなければならないことを説いていた。実は、このことは、その前年の9月に、クラーマーさんが篠島さんに会って進言したことなのである。
 当時、サッカー協会の改革問題は、一部のスポーツ新聞には、センセーショナルに取りあげられた。ところが、その後、あまり進展しないようだったものだから、ある協会の実力者は、昨年の6月ごろ、ぼくに向かって、「協会改革などと、だいぶ騒ぎたてたが、立ち消えじゃないのかね」とせせら笑ったものである。
 沖さんが事務局長になって、その人たちは、だいぶあわてたという話である。事務局長とGeneral Secretaryは別だとか、事務局長をいきなり常務理事にすることはできないと主張し、自分が理事長になって勢力を温存することを画策し、側近の人たちには「ある陰謀があって、こういうことになった」と説明したそうである。陰謀もなにも、ありはしない。協会の改革が必要なことは、一昨年の9月にほかならぬ協会の常務理事会で、クラーマーさんが熱意をこめて説き、新聞や雑誌にも出ていることである。それが、ようやく動きはじめたのに違いないと、ぼくは見ている。
 新事務局長は、協会の中にはいり込み、これまでの実力者の人たちと協力して働きはじめている。それでいいと思う。機構改革も少しづつ動きはじめたということである。
 前に向かって動き出したのなら、しばらくは、その行き先きを見守ってみよう。

●ワンタッチ・コントロール
 5月〜6月にかけて、日本代表チームの大敗が続いたのに驚いている。スパーズに6点、7点と取られたときは、相手が名だたるプロの超一流チームだし、日本代表チームの方も、しばらく国際試合から遠ざかっていたので、ある程度は、仕方がないと思っていた。
 ところが、アマチュアのミドルセックス・ワンダラーズに、清水で6点も取られたのには驚いた。このときは“日本選抜”という名前だったが、顔ぶれは代表チームと大差がなかった。
 清水での試合のあと、岡野監督は、くり返して「さびしいねえ」といった。数人の負傷者がいるとやりくりがつかなくなる選手層のうすさ、ベテランらしからぬ気のゆるみ、先制点をとられて、がたがたになるもろさ ―― 岡野監督が、さびしくなった原因は、いろいろあるだろう。しかし「さびしいねえ」というせりふは、監督よりも、われわれファンのせりふである。ソウル予選まで、あと2カ月。コーチ陣よ、元気を出せ!
 ワンダラーズに6点もとられたのを見ると、スパーズに大敗したのも見のがせなくなった。大敗の原因は、単に負傷者が多かったとか、コンディションが悪かった、ということでは、なさそうである。激しく、からだを寄せて当たってくるイギリスのサッカーに対して、本質的にもろい点があるのではないかと思う。
 メキシコのワールドカップで、ブラジルがイングランドと対戦したとき、試合の立ち上がりに、イングランドのバックは中盤で、やはり激しく当たりに出た。ところが、ブラジルのフォワードは、パスを受けた瞬間には、ワンタッチで相手をかわし、バックの裏側にすり抜けていた。こういうことを2度、3度とやられて、イングランドのバックも、強気で激しく当たりに出ることは、出来なくなってしまった。
 清水での試合を見ていると、日本の選手はボールを迎えにいって、パスを受けるとき、相手に背を向けている。ボールを止めてから振りかえり、おもむろに相手を抜こうとする。そこを、イギリス選手の激しい当たりにねらわれている。
 激しい当たりのサッカーをかわすには、ブラジルの選手がみせたように、ボールを受けた瞬間に、すばやく相手を抜く技術が、どうしても必要ではないかと思う。
 これは、ダイレクト・パスでかわすこととは違う。現代のサッカーでは、バックの方が人数が多いのだから、パスをつないでも、つないでも、相手の激しい当たりに苦しめられることがある。必要なのは、1対1で、すばやく相手を抜くことである。
 それには、相手とせり合いながらでも、1回ボールにさわっただけで、完全にボールをコントロール出来る高度の技術が必要である。ワンタッチ・コントロールが、日本のサッカーの技術的課題だと思うが、どうだろう。


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