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サッカーマガジン 1970年2月号
牛木記者のフリーキック

全国のサッカー・マンの意見を!

意見を言う権利がある
  今月は、ふたつの問題についてぼくの知っていることを、お知らせし、読者のみなさんの御意見をおうかがいしたいと思います。ふたつとも、日本サッカーの将来に、大きな影響がある重要な問題ですから、直接関係のある人たちだけでなく、全国のサッカー・マンやファンにも、意見を述べる権利があり、関係者は、みんなの意見に耳を傾ける必要があると思います。
 みなさんの意見を、全部この雑誌にのせることはできないでしょうが、「サッカー・マガジン編集部」あてに寄せられた御意見は、ぼくと編集部が、責任を持って、それぞれ関係のところへ、おとどけします。
 関係者が、ぼくたちのいうことを、そのまま採用するかどうかはもちろん分かりませんが、少なくとも、若い役員が主力になっている日本リーグのほうは、読みもしないで紙くずかごにいれるようなマネは、しないでしょう。
 必ず目を通して、検討してくれるでしょう。その点は保証します。
 まじめに検討してくれれば、その意見が、すぐに採用されなくても、必ず将来の役に立つことと思います。
 読者のみなさんの有益なご意見を、お待ちします。

@日本リーグのチーム数をふやす問題
 
ひとつの問題は、日本リーグのチーム数をふやすことです。これは、先月号に書きましたように、クラーマー・コーチの、日本サッカーに対する重要提案のひとつです。
 日本サッカー・リーグは、12月13日の評議会で、チーム数を現在の8チームから、10チームにふやすという案を出し、3月末日までに検討することを決めました。もし、増やすことに決まれば、1年の準備期間を置いて、昭和46年度から実施する予定です。
 しかし、ふやそうという意見が、リーグの中で、圧倒的に強いというわけではありません。いろいろな考えの人がいますから、みなさんのご意見をきかせていただければ、非常に参考になると思います。

▼賛成意見
 チーム数をふやすべきだという意見の根拠としては、次のようなことが考えられます。
@新しく入ってきたチームが、激しい試合にもまれ、また“ひのき舞台”で刺激を受けて意欲的になり、水準が向上する。こうして、次第に強いチームの数がふえ、良い選手を育てる機会がふえる。
A試合数がふえるから普及に役立つ。特に現在では少なすぎる地方での試合数を、ふやすことができるようになるだろう。
B外国の全国リーグは、ほとんどが1部14〜22チームで構成されており、その下に2部、3部のリーグを持つ国もある。日本もいずれ、そうなることは明らかだから、クラーマーの提案を機会に、その第一歩を踏み出そう。鉄は熱いうちに打つべきだ、
――などです。

▼時期が早いという意見
 一方、趣旨には反対でないにしても、いますぐチーム数をふやすのは、時期がまずい、という考え方もあります。たとえば、
@現在の試合数でも、選手たちは会社の勤務とサッカーを両立させるのに、苦しんでいる。これ以上試合数がふえては、いまの体制ではとてもやれない。そうかといって、セミプロ体制にした場合、選手たちがサッカーをやめたあとの将来は、どうなるのか。
A弱いチームを加えて、チーム数を水増ししても、つまらない試合がふえるだけで、普及の面では逆効果である。
B外国では、下部に2部リーグや地域リーグの組織が確立しており、強いチームを持ち、運営面でもしっかりしているクラブが、地域的なバランスをとりながら加えられるようになっている。トーナメントの社会人大会の上位2チームが、リーグに入ってくるような現在の組織を改めないうちに、チーム数をふやすのは、意味がない。
――といったところです。

▼ぼくの意見
 ぼく自身の現在の考えは、賛成論と反対論をミックスしたようなもので「チーム数増加のために、いますぐ動き出すべきであり、そのために下部の組織を、まず固めよう」というものです。
 日本リーグ総務主事の重松良典氏が、前に「2部リーグを作るようにしてはどうか」といっていましたが、ぼくも、まず、そうすべきだと思います。
 たとえば、関東リーグ、東海リーグ、関西リーグの1位3チーム(1位だけです)によるリーグ戦をして、その優勝チームに、日本リーグ入りのチャンスを与えては、どうでしょうか。
 一方では、他の地域リーグ(たとえば中国と四国による“瀬戸内リーグ”)を育て、また日本リーグとは別の体系で、地方のチームのための大会を、考えてみなければなりません。

A大学の全国リーグの問題
 
もうひとつの問題は、大学の全国リーグを作ることです。これは日本蹴球協会の技術指導委員会(委員長は長沼健さんです)が、11月18日にまとめた意見書の中にふくまれており、11月26日の日本蹴球協会常務理事会で方針としては、原則的に承認されています。
 学生であろうと、警察官であろうと鉄道員であろうと、自分たちの仲間が集まって、強い者は強い者同士、弱い者は弱い者同士によるリーグを作って、サッカーをやろうということに、なにも反対しようとは思いません。
 しかし、リーグというものは、「自分たちのことは自分でする」という自主的な組織でなければ育ちません。協会はサッカーを統轄し、一般的な指導はしなければなりませんが、行き過ぎた干渉をしたり、保護をしすぎたりすれば、かえって将来のために、マイナスになります。
 きくところによれば、大学の全国リーグに対して日本蹴球協会と日本リーグから財政的な援助をし、大学の試合を、日本リーグの前座でやろうという考えがあるそうです。ぼくは、そのようなやり方はマイナスが多いと思います。日本リーグの前座でやれば、新聞の紙面と試合数の関係で、報道の上では大学のサッカーは、非常に小さく扱われることも、覚悟したほうが良いと思います。
 ただし、先に書いたように、大学チームの人たちが集まって、自主的にリーグを作り、運営し、それを日本のサッカーの発展に役立つ方向に持っていこうというのであれば、まったく反対する根拠はありません。けれども、次のことは考えてほしいと思います。
 いま日本で、国民の25%が大学に進み、75%が中学または高校を出て直ちに社会に出ます。そして、サッカーをするチャンスは、大学へ行く人にも、残りの75%にも、また大学へ行って、その大学のサッカー部にはいらないで他のクラブにはいっている人にも、平等に与えられなければなりません。
 ですから、協会の本筋の選手権――外国流にいえばリーグとカップ、日本なら天皇杯と日本リーグが、そうあるべきだと考えるのですが――に参加する資格は、体力に差のある一定年齢以下の青少年は別として、学歴や身分や地位によって制限されてはならないと思います。
 「ぼくたちのチームには、W大の学生しか入れない」――というのは、そのチームの自由ですが、「ぼくたちは学生チームとしか試合しない」というのであれば、それは本筋のチャンピオンシップとは、いえません。
 つまり、大学リーグは、もともと“特殊”だということです。


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