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サッカーマガジン 1969年10月号

スポーツ・クラブを育てよう

 “だれでも入れる”本格的なクラブとして「読売サッカークラブ」が誕生したのを機会に、読売新聞社の牛木さんに登場してもらった

クラさんのことば
 クラーマーさんの前に青写真をひろげ、見取図をみせながら、ぼくが説明した。
 「サッカー場が4面ある。メーン・フィールドには、約3千人分の簡単なスタンドもつける。1面は陸上競技のトラックの内側で、もう2面は芝生広場に並べて作る。全部芝生だ。ナイター設備もある」
 クラーマーさんは、ほほう、という顔をした。ぼくはすばやく、タイプ用紙6枚に英語で書いた説明を手渡した。前の晩に、ほとんど徹夜で打ったものだ。
 「4面のサッカー場に囲まれた空地は、体育館の建設予定地だ。体育館の青写真はいま作っている。その向こう側にあるのは、でっかいプールだ。遊園地をはさんで、もっと向こうにはスキー場もある」
 「スキー場?」
 「夏でも使える人工スキー場だ。ジャンプ台もある。雪の代わりにプラスチックのブラシが植えてある」
 「おもしろい、おもしろい」
 クラーマーさんは、笑い出した。
 「ちょっと、でかいこといい過ぎたかな」
 とぼくは思った。
 プールやスキー場はよみうりランドの設備である。ぼくが説明している“読売サッカー・クラブ”には、直接の関係はない。しかしこの“サッカー・クラブ”は、東京・多摩丘陵にある“よみうりランド”の協力を得て、その一画に作るのだから、まったく無関係というわけじゃない。
 だから、ぼくはこうつけ加えた。
 「だけど、さしあたり、ぼくたちが考えているのは、サッカー・クラブを作ることだ。将来は、いろいろなスポーツを加えて、ヨーロッパにあるようなスポーツ・クラブになるだろうけれど ――」
 そのあとで、クラさんのいったことばは、ぼくにとっては大感激だった。
 クラさんは、まじめな顔にかえって、ため息をつくように、こういったのである。
 「9年前に、自分が日本にきたとき、こういうスポーツ・クラブを作るべきだといったが、だれも相手にしなかった。9年目に、はじめて夢が実現した」

へんなチーム
 東京教育大学サッカー部というチームがある。このチームの選手は全員、東京教育大学の学生である。
 名古屋相互銀行サッカー部というチームがある。このチームの選手は、全員、この銀行の銀行員である。
 このことをだれも不思議だとは思わない。
 しかし、読売サッカー・クラブは違うのだ。
 読売サッカー・クラブは、読売新聞社、報知新聞社、日本テレビ、よみうりランドの4社が協力して発足させたものである。だがクラブのメンバーは、この4社の従業員や関係者ではない。会員は一般から募集している。もちろん、従業員が会員になってもいいが、別に特典があるわけじゃない。みなさんが、会費を払って会員になるのと同じである。
 だから、近い将来、読売サッカー・クラブのチームが試合をすることになった場合、チームには、銀行員もいるし、大学生もいるし、新聞記者もいるということになるだろう。
 みなさんは、そんなチームが出てきたら、へんだと思うだろうか。
 みなさんはへんだと思わないかも知れないが、日本のサッカーの総元締めである日本蹴球協会は、へんだと思うかも知れない。
 なぜなら、日本蹴球協会の規則をみると、協会に登録するチームは、小学校チーム、中学校チーム、高等学校チーム、大学チーム、社会人チームというようになっている。
 しかも、学校の場合は「単独の大学学生をもって構成する団体」と書いてあってひとつのチームは、同じ学校の学生で作らなければならないことになっている。
 ところが読売サッカー・クラブには、早稲田大学の学生もいれば、慶応の学生もいる。日立の社員もいるし、三菱に勤めている人もいる、ということになるのだから、蹴球協会の規則にぴったり当てはまらないのである。

ほんとのクラブ
 
もう、分かっていただけると思うけれど、これは日本の協会の規則のほうが間違っているのだ。
 日本に来たモスクワ・ディナモやデュクラ・プラハのチームに、軍人もいれば、労働者もいれば、学生もいたことを、覚えている方も多いに違いない。スポーツ・クラブというのは、そういうものなのだ。
 「うちのクラブは、うちの会社の従業員しか入れないのだ、それがクラブの方針だ」というところがあっても、それは仕方がない。
 「このレストランには、黄色いシャツを着ている者しか入れないのだ」という経営者がいても仕方のないようなものだ。
 しかし、協会の公式選手権に、特殊な者ばかりで構成されたチームしか出場させないような制度は間違っている。
 また、どちらが世の中の役に立つかといえば、限られた範囲のメンバーしか入れないクラブよりも、だれでも入れるクラブのほうである。黄色いシャツの者だけに食べさせるレストランではなく、みんなが利用できる食堂である。
 この夏から、東京では日立製作所が少年サッカー・スクールをはじめた。
 世界的大企業の日立だけあって、「日立少年サッカー・スクール」と染めぬいたテントまで特別にあつらえた、豪華なものである。
 日立少年サッカーの発足発表会があったとき、ぼくは日立宣伝部の人に、こう質問した。
 「これは、現代における大企業の社会的責任の一部を果たすという意味で、企業利益の一部を社会に還元しようというものでしょうね」
 「ま、まあ、それもございます」
 日立宣伝部の人の回答は、ちょっと苦しそうだった。
 ぼくは、少年サッカーが日立の企業イメージの向上に役に立てば結構だと思う。宣伝でも差し支えないと思う。
 日立は、社会の役に立つ仕事をしている ―― というPRが事実であればなにも恥じ入ることはない。

プロはクラブから
 ひところ、杉山、釜本などスター選手を引き抜いてプロ・サッカーを作るというウワサが、ささやかれたことがあった。
 ぼくたちはそんなやり方には反対だし、不可能だと信じている。将来、日本にプロ・サッカーが生まれるとしても、それは、ヨーロッパ諸国にあるように、健全なスポーツクラブの組織を基礎としなければならない。
 スポーツ・クラブに必要なものは、第一に施設であり、第二に会員であり、第三に指導者である。
 読売サッカー・クラブは、まず4面のサッカー・フィールドを作った。会員は、いま募集中である。
 指導者要員として、まず東京教育大学のキャプテンだった柴田和宏君に来てもらった。将来の指導者は、サッカーがじょうずなだけでなく、本格的に体育学を勉強した人でなければならないと思うからである。
 ながながと、読売サッカー・クラブの説明をして、ほっとひと息ついたら、クラーマーさんが、すかさず冗談をいった。
 「1971年には、FIFA (国際サッカー連盟) との契約が終る。そのあとで読売サッカー・クラブで、わたしと契約をしないかね」


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