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サッカーマガジン 1969年3月号

天皇杯をみんなの手に!!

天皇杯に出場したヤンマーのカルロス
 
ペドロ・カルロス・エステべス君は、風変りな選手である。ブラジルからヤンマーに来て、はじめて日本のサッカー試合を見たのが、名古屋・中日球場の名相銀−ヤンマー戦。ヤンマーが2−0でリードしていたのに名相銀が遠山の攻撃参加で猛反撃し、2−2の引き分けにした。
 余談だが、名相銀の遠山剛寿選手は、昨年の日本リーグの敢闘賞に値する活躍ぶりだったと、ぼくは思う。東京中日新聞の表彰する“敢闘賞”は、新人賞的な意味があるので、ヤンマーの湯口栄蔵君に贈られたけれども、遠山君も日本リーグでは1年生 (前年は東海リーグ) だったのだから、敢闘賞をもらっても、おかしくはなかった。
 さて、カルロス君は、オーバーに身を包んで終始無表情に試合を見ていたが、終ってから報道陣に感想を聞かれると、ネルソン吉村君の通訳で「ブラジルでは、2点もリードした試合を失うことはない」といったものだ。大阪に帰ってからも、カルロス君は、ヤンマーのミーティングで同じ意見をくりかえし、みんなを悩ませたという。
 カルロス君は「2点もとらせてくれたのだから、あとは相手のゴールの近くにいって、個人の足わざを、お客さんに見せるべきである」といいたいのだ。
 足わざの極端にうまい南米のサッカーでは、これはひとつの定石であって、足わざを披露するには、相手陣のコーナー付近が、味方ゴールからもっとも遠くて安全だというわけだが、日本のサッカーはあまりにも目まぐるしくて、残念ながらカルロス君のいうように、ゆっくり足わざを見せる余裕はない。
 天皇杯・全日本選手権には、カルロス君自身が登場して、足わざを披露する機会があった。ぼくは元日の決勝戦で、後半の途中に出てきてから、ずっと彼に注目していたが、なるほどミスはまったくしない。一見フラフラしているみたいだったけれど、試合中、自分のところにきたボールを相手に奪われたことは一度もなく、30メートル以上のパスでも必ず味方に渡り、みごとなシュートもした。しかし特にヤンマーの勝利に貢献したというわけでもない。ヤンマーはカルロス君がいなくても、天皇杯を手にしていただろう。
 いまのところは顔見せ程度だが、こういう日本のサッカーにとっては変りダネ選手が見られるのは、ヤンマーの大きな功績で、いい刺激になるに違いない。

二つの問題がある
 
という次第で、カルロス君の来日は大歓迎なんだが、なんだか割り切れないような気持ちがしたのも事実である。
 というのは、その年のシーズンも終りごろになって、ふらりと地球の裏側から来た選手が天皇杯に出られるのに、日本中の何千というチームは、日本蹴球協会に加盟費を払って登録していても、その年度のうちに天皇杯に挑戦する機会が与えられない。これは、おかしいじゃないか、という気がするのだ。
 これには二つの問題が、からんでいる。ひとつは選手の登録規定の問題で、もうひとつは選手権の体系あるいは方式の問題である。
 選手登録の問題については、前にも触れたことがあるが、日本ではこの制度がしっかりしていない。ひとりの選手が同時に二つのチーム (クラブ) から登録してはいけないという “二重登録” 禁止規定は、数年前にやっとできたが、選手の移籍やシーズン中の追加登録についての規定は、日本蹴球協会にはまだない。
 カルロス君の場合、ブラジルの協会から、リリーズ証明をもらってきていた。これは、ブラジル国内のどのクラブ (チーム) も、カルロス君を登録していないから、日本のクラブに登録しても差しつかえないという証明書である。かりにカルロス君が、ブラジルのどこかのクラブの登録選手であれば、そのクラブとブラジル協会が登録を解消してくれない限り、日本でサッカーはできないのだ。
 カルロス君の移籍は証明があったからいいのだが、問題は追加登録である。日本リーグには後期の試合開始前に登録していなければ、出場させない規定があるから、ヤンマーは昨年の後期の試合でカルロス君を使うことができなかった。ところが日本蹴球協会には、追加登録制限規定がないために、カルロス君の出場を認めるほかはなかった。
 ヤンマーは、リーグで4位以内になったために、天皇杯への出場権を得たのである。そのチームがリーグに出られなかった選手を天皇杯に使えるのは、おかしいではないか。
 こんなことが許されるなら、三菱がリーグ試合の終ったあとで、古河から木村選手を、名相銀から遠山選手を一時的に移籍して (借りてきて) 、天皇杯に出ることができるではないか。
 もとより今回カルロス君が出場したのは、彼自身の責任でもないし、ヤンマーの責任でもない。プロ野球の場合、日本シリーズにはその年の9月以降の登録選手は出られないという規則がある。日本蹴球協会にはそういう規則が整備されていない点に問題がある。

天皇杯を、全チームが参加した形に
 
もうひとつの問題は、天皇杯・全日本選手権には、日本リーグ上位4チームと、全国大学選手権上位4チームしか出られないという現在の方式である。
 日本リーグのメンバーは8チームだ。これは大学チームのほかは、天皇杯へのチャンスは8チームにしか与えられていないということだ。全国4千のおとなの加盟登録チームにとって、これは不公平なことではないか。
 こういう意見はあるだろう。東京リーグの2部で勝ち、次の年に1部で勝ち、その次に関東リーグで勝ち、社会人大会に勝ち、日本リーグに入ればチャンスがあると ――。
 この間のすべての入替戦に勝ちつづけたとしても、4年がかりの細い、細い道である。強いチームも4年のうちには盛衰の波があるだろう。これで天皇杯が、日本全国のサッカー・チームの上に立っているといえるだろうか。しかも協会への加盟登録は、1年ごとであり、1年ごとに加盟費を払い込んでいるのだ。
 ぼくが提案したいのは、天皇杯を、イギリスのFAカップのように、リーグから分離して行なうことである。
 サッカーでは、リーグとは強い者は強い者同士、弱い者は弱い者同士が行なう総当たり方式の組織である。
 カップとは勝ち抜き方式の選手権で、低いランキングのチームが、上位チームを倒すチャンスである。
 日本にもこれをとり入れる時期が来ているのではないか。協会はリーグとカップを、二つの選手権の体系として確立すべきではないかと言いたいのだ。
 「試合数が多くなり過ぎて、とてもやりきれないよ」という考えもあるかも知れない。だが、それはやりようである。日本リーグのチームはシードして、途中から出すようにすればいい。
 先日、耳にしたのだが、名古屋で東海選手権があって、これに日本リーグの名相銀が出場してもいいかどうか、ちょっと問題になったそうである。
 東海選手権をやる日程の余裕があるならば、これを全日本選手権にふり替えればよいではないか。名相銀は、たとえば東海選手権の準決勝にあたるくらいのところから、出場させてもいいではないか。
 この場合、できるだけ、東海予選というようなことばは、使いたくない。最末端の試合が、天皇杯の第1ラウンドであり、加盟登録したチーム (18歳未満は別) は、すべて天皇杯に参加したという形にしたい。「天皇杯をみんなのものに!」というのが、今月のぼくの提案である。


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