アーカイブス・ヘッダー
     

サッカーマガジン 1968年11月号

ぼくの提案
少年サッカーマンのために
       あなたの力を貸してください

メキシコは終点ではない。その後にきたるものはなにか。少年のためにボールとグラウンドをあたえることだ

画期的な代表
 あれから1年たった。
 きょ年の今ごろ、日本代表チームは、韓国、南ベトナムと死闘のすえ、オリンピック出場権を獲得した。国立競技場のスタンドを埋めたファンの歓声が夜空にはじけ、八重樫選手が、杉山選手が、釜本選手が……日の丸の大きな旗をかかげてグラウンドをまわり、声援に感謝した。
 残念ながら、ぼくは別の仕事のために、その場にいなかったが、そのときの光景は自分で見たかのように、まぶたに浮かぶ。
 「日本のサッカーにとって、メキシコ・オリンピックは、予選に勝ったことに意味があったと思いますね。極端なことをいえば、メキシコヘ行くことは、つけたしかも知れない」
 サッカー狂会の池原謙一郎氏がこんなことをいった。
 いままで、これほど多くの大衆の支持を得て送り出されたオリンピック・チームはなかったと思う。
 「ぼくたちの代表を、ぼくたちの中から、ぼくたちの手で、オリンピックに参加させたのだ」
 みんな胸をはって、こういえるはずだ。
 日本のサッカーは、一部の大学で選手生活をした少数の人たちのものではなく、国民大衆のスポーツとして第一歩を踏み出したのだ。それを象徴した1年前の予選は、メキシコの本番よりも、画期的なできごとだったというわけだ。

メキシコは終点ではない
 
いまごろ、長沼監督のひきいる日本代表チームはメキシコの空の下である。心の底では、ぼくもやっぱり勝って欲しいと思う。しかし相手はナイジェリア、ブラジル、スペイン。このうち少なくとも二つ勝たなければ、第一目標のベスト8に出られない。これは困難な仕事である。
 ぼくが、外国の新聞記者だったら、日本がベスト8に残るとは、やはり予想しないだろう。日本の属しているBグループからは、ブラジルとスペインが出るとみるのが、順当ではないだろうか。イギリスのロイター通信の記者は「ナイジェリアとスペイン」という評価を下している。
 世界でもっとも普及しているサッカーで、甘い見通し、過大な期待を抱いてはならない。「サッカーは世界のスポーツ」であることを忘れないで欲しい。それだけにメキシコでの1勝には絶大な拍手を送るつもりだが、目前の勝敗にあまりこだわってはならない。
 1936年、ベルリンでスウェーデンを破った殊勲談を長く語りついでいる間に、日本は世界の大勢に大きく遅れた。1964年、東京大会でアルゼンチンからあげた1勝を踏み台に、すぐ日本リーグ発足という次の手を打ったおかげで、この4年間の日本のサッカーの発展は目ざましかった。
 メキシコは終点ではない。長いドライブ旅行の途中に立ち寄ったガソリン・スタンドに過ぎない。

長沼監督のことば
  また前置きが長くなった。それというのも、口では偉そうなことをいいながら、内心ではぼく自身が目前の勝敗にやきもきしているからに違いないのだが、今月ぼくが読者のみなさんに、おうかがいしたいのは、メキシコのあと、日本のサッカーを発展させるためにぼくたちは、なにをすればよいかということなのだ。
 ひとつのヒントは、昨秋の予選で得たあの圧倒的な国民大衆の支持を忘れないことだ。とくに、その大部分を占めた少年たちのサッカー熱をさまさないことだ。
 メキシコヘ行く前に、長沼監督、岡野コーチが口をそろえて「少年たちの期待を裏切らないように、がんばりたい」といっていた。 「お国のために」「日の丸のために」という紋切り型の文句よりもこのことばは印象的だった。
 しかし、少年サッカーマンの期待を満たしてやる、もっともたいせつなことは、彼らにボールとグラウンドを与えることである。自分でサッカーができるようにしてやることである。

校庭を借りる話
 
8月の初めに、サッカー協会で「クラブ育成全国協議会」を開いた。
 いままでのような学校中心でなしに、町のスポーツ・クラブのサッカーを盛んにするにはどうしたらよいかを、全国から集まった人たちが相談したのだが、そのとき文部省体育局の松島スポーツ課長からきいた話は興昧深かった。
 松島課長の話はこうだ。
 全国に小学校の数が約2万5千ある。その中には分校などもあるから、かりに2万としよう。その2万の小学校の校庭を利用して、20人ずつの少年サッカー・クラブを作ったら、たちまちに40万人のサッカー選手が誕生するではないか ―― というのである。
 40万人、2万チームを育成するのは容易なことではない。メキシコで金メダルを取るよりむつかしいように見える。
 しかし、きみが近くの小学校にいって、校長先生に、松島課長のいった話をし、週に1日、日曜日の午前中だけでもいいから校庭を貸してくれるように、お願いし、近所の少年たちを集めてボール遊びの世話をすることは、それほどの大事業だろうか。
 この仕事はささやかではあるが決して容易ではない。思いもかけない、やっかいな問題がつぎつぎ出てくる。そのむつかしさをぼくもよく知ってはいるが、これはメキシコで勝つ以上に、世の中の役に立ち、日本のサッカーを盛んにし、そして最後には金メダルヘの道に通じるのだ、とぼくは信じている。
 メキシコの次の仕事として、ぼくが提案するのは、このことである。サッカー協会は、すでに「一つの小学校区に一つのサッカー・クラブ」を作る構想に手を染めている。しかし具体的な施策として実るには、まだ時間がかかるだろう。
 それに、この仕事は、ひとにぎりの選手を育成するのとわけが違う。
 最少限全国で2万人の、実際にはその5倍 ―― つまり10万人のサッカーのムシがいなければ、できない仕事だ。
 だから、ぼくはこの誌上で読者のみなさん全部に提案し、お願いしたい。
 「少年サッカーマンのために力を貸してください。この構想を促進するために、よいアイデアがあればお知らせください」

■来月号は「メキシコ・オリンピック記念特大号」です。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ
次の記事へ

コピーライツ