(サッカーマガジン1973年8月号 牛木記者のフリーキック
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オリンピックとサッカー
IOC (国際オリンピック委員会) が、最近の理事会で「モントリオール・オリンピックのサッカー競技参加チーム数は、これまで通り16とする」ことを決めた。IOCは、大会の規模を縮小するために、球技の参加国数を減らしたいといっていたのだから、今回の決定は、サッカーにとっては一つの勝利である。
他の球技のオリンピック参加チーム数をみると、バレーボールは男子12、女子8、合計20である。バスケットボールは、サッカーと同じく男子だけ16だが、これはモントリオールから、バレーボールと同じになるはずである。ホッケーは今回の決定で、16チームから12に減らされた。こうやって、くらべてみると、男子だけのサッカーが、16のまま残ったのは、恵まれているといえるかも知れない。
サッカーのチーム数を減らさなかった理由として、IOCは「サッカーは世界でもっとも盛んなスポーツであり、開発途上国で特に愛好されているスポーツだから」といっている。ぼくたちのようなサッカー・ファンにとっては、当然のことだけれども、IOCが、当然のことを当然と認めたのは、愉快である。なぜなら、従来、IOCは「サッカーはプロ的だからオリンピックから除外する」などといって、頭から毛ぎらいしていたからである。IOCの会長が、アメリカ人のお金持ちのブランデージ氏から、イギリス人のキラニン卿に代わったせいに違いない。
しかし、サッカーの方も、譲歩しなかったわけではない。
1チームの選手数が、従来は19人だったのに17人に減らすことになった。これは競技の実情からみて、かなり無理な譲歩だと思う。どのような形式のトーナメントをしても、決勝戦まで進出するチームは、16日間の会期中に5〜6試合をしなければならない。日本チームがアジア大会やメキシコ・オリンピックに参加したときの経験からみて、17人では、最後の方になったら満足なチームを組めない可能性がある。
また、ワールドカップに参加した選手は、オリンピックには出場させない、というFIFAの考えに「IOC理事会は、満足して同意した」と外電は伝えている。これは、以前にもあった規則だが、日本などの反対で一度は廃止されていたものである。
FIFAの首脳部が、ワールドカップを強い者同士の大会にし、オリンピックをアマチュア・サッカー普及のための大会にしようという趣旨は、よく理解できる。
しかし、もし、この規則が、ワールドカップの予選にさかのぼって適用されると、日本は困ってしまう。
ソウル予選に出た釜本、永井などはみなモントリオールに出られなくなるからである。
だから多分、本大会出場者だけになるか、以前の規則のように「ただし、アジア・アフリカ地域は除く」ということになるのではないだろうか。
■ 理想のサッカーは一つではない
来日した1FCケルンのシュロット監督は、前にボルシア・メンヘングラッドバッハのコーチとして、日本に来たことがある。そのせいか、日本のスポーツ記者のやり方を、よく心得ていて、試合後のインタビューの応対なども要領がよかった。向うがよくしゃべってくれると、こちらも突っ込んだ質問をしたくなる。
第一戦のあとのインタビューでこんな質問が出た。
「1FCケルンはバックのプレーヤーが次から次へと飛び出してきて流れるような攻撃をみせたが、あれは西ドイツのサッカーの最近のやり方なのだろうか。1FCケルン独特のものだろうか」
シュロット監督が答える。
「これは1FCケルンの独特の特徴だと思う。サッカーのポジションは、11しかないのに、われわれのチームは、今季のリーグで、16人の選手が得点をあげた。これはどのポジションの選手も、ゴールをねらうチャンスがあったからだ」
「そういうサッカーが、あなたの理想のサッカーと考えていいのか」
「理想のサッカーといういい方は適当でないだろう。私がケルンに来てみると、他のチームのような強力なストライカーが、いなかった。その代わり、若くて才能のある選手が多いので、ご覧のようなやり方を試みたわけだ。チームの特徴は、選手たちの特徴によって決まってくるものだ」
1FCケルンのバックの攻撃参加は、日本リーグの試合で、特定のフルバックやスイーパーが攻め上がるのとは、だいぶやり方が違う。これまでに見なれたやり方は機をみて、1人のバックが攻め上がり、一発のパスを受けて、シュートなり、センタリングまで持っていくケースが多い。
1FCケルンの場合は、どの選手でも、常に流動的に攻め上がる態勢にある。たとえば、ストッパーのブレーザーは、第一戦の前半、全日本のセンター・フォワードの日高を、つきっきりでマークしていたように見えたが、そのブレーザーでさえ、シュートを記録している。
また攻め上がり方も、単発的でなく、三角パスをつなぎながら、二段、三段に切り込んでくる感じである。
オーバーラップした選手のつぎに、またオーバーラップがあるという場面があった。
シュロット監督は「理想のサッカーという言葉は適当でない」といったけれども、1FCケルンの追求しているのは、間違いなく、サッカーの理想像の一つだと思った。ただし、理想のサッカーは、一つではない。
1970年のワールドカップでブラジルが見せた個人技のシンフォニーも、また一つの理想のサッカーの方向であり、1FCケルンの求める精密機械の千変万化の組合せも、別の理想のサッカーだろうと思った。
■ 三菱サッカーの中国訪問
三菱重エサッカー・チームの二宮監督らが中国訪問を終えて帰ってきた。よくやった、ご苦労さん、といっておこう。
日本のサッカー・チームが中華人民共和国を訪問したのは、はじめてではない。1957年には、日本代表チームが出かけている。二宮監督は、あのときは選手として行ったはずである。
当時は、中国が、まだFIFA (国際サッカー連盟) に加盟していた。したがって、日本と中国がサッカーの交流をするのは当然のことだった。日本の訪問に続いて、次は中国のチームを日本に招待する予定だった。
ところが、翌年、1958年に中国がFIFAから脱退したために、中国サッカーの日本招待は沙汰やみになった。FIFAの規則では、非加盟国との交流は、原則としてFIFA理事会の承認を要することになっている。したがって、FIFAを脱退した中国を招待するのは、ちょっとやりにくかった。
中国がFIFAを脱退したのは台湾にあるサッカー協会が「チャイナ・ナショナル」の名前でFIFAに入ってきたからである。
「二つの中国サッカー協会を認めるのは納得できない」というのが脱退の理由だった。FIFAの規則第一条には「一つの国から一つのサッカー協会」を加盟させることが、明記されている。「チャイナ」のサッカー協会が、二つ加盟しているのは、間違っているし、それをそのまま黙認すれば「二つの中国」が既成事実になるおそれがある。中国がFIFAを脱退したのは、そのためだと思う。
いま、中国から一つのサッカー協会をFIFAに加盟させるとして、北京の協会を選ぶか、台北の協会を選ぶか、といえば、だれだって北京を選ぶというだろう。7億以上の人口を持つ中国を、本当に代表しているサッカー協会をFIFAから除外しておくのは、よくないと、ぼくは思う。
日本のサッカー協会も、幸いにして、ぼくと同意見で、ことしの2月に野津会長ら3人の役員が、北京を訪問して、中国のFIFAでの権利回復に努力することを約束してきた。
その結果として、三菱サッカーの中国訪問が実現したわけだが、中国のFIFA復帰はまだ実現していない。したがって、厳密にいえば、三菱サッカーの訪中は、FIFAの規則違反になるかも知れない。
昨年、習志野サッカーが、朝鮮民主主義人民共和国からの帰途に立ち寄ったのと違って、おとなの一流チームだから、問題になる可能性はある。
しかし、FIFAのこれまでの柔軟なやり方からみて、形式的な違反を FIFAが追求することはあるまいとぼくは、信じている。三菱サッカーの訪中は、世界サッカーの統一と繁栄のために、必ず役立つのだということを、関係者は確信していてほしいと思う。
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