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(サッカーマガジン1972年9月号 牛木記者のフリーキック


日本蹴球協会は中国を支持する

 中国の上海からジュニア選抜チームがやってきて、横浜、仙台、京都で試合をする。中国のサッカーが日本にくるのは、はじめてのことである。
 この上海チームの試合には、日本蹴球協会は関係がない。もちろん各地で行なわれる試合には、地元のサッカー関係者が協力するし、その人たちは当然、なんらかの形で協会と関係があるだろうけれど、少なくとも試合の主催者の中に、蹴球協会は入ってない。なぜかというと、中国の蹴球協会(中華人民共和国足球委員会)がFIFA (国際サッカー連盟) に加盟していないからである。
 FIFAは、原則として、FIFAに加盟している仲間同士でサッカーの試合をしている。日本蹴球協会はFIFAの加盟団体だから、FIFA非加盟の中国との試合で、表立った動きができないのである。
 今回は、ジュニア・チームの友好訪問だから、日本蹴球協会は黙認し、地方の協会関係者は裏方にまわって協力する形をとることができた。しかし、これは望ましい形ではないし、中国の代表チームを日本に招待するようなことは、この形ではできないだろう。この問題は、どうしても、なるべく早い機会に、中国をFIFAに復帰させることによって解決しなければならない。
 中国は世界の総人口の約四分の一、8億の人民をかかえている。世界のスポーツ、大衆のスポーツであるサッカーが、この中国を仲間に入れない法はない。日本は中国のFIFA復帰のために腰をすえて積極的な努力をすべきだと思う。
 ところで、ぼくが、“権威筋” (ということにしておこう。要するに協会の責任ある地位の人) から直接手に入れた情報では、日本蹴球協会は、中国のサッカーを代表する唯一の組織として、中華人民共和国の協会のFIFA復帰を支持する態度をすでに決定したそうである。5月ごろの協会常務理事会で、中国問題を討議し、結論が出されたのだそうだ。
 常務理事会は非公開で、しかも中国問題についての結論は公表しない申し合わせだそうだから、日本が態度を決めたといっても、いまのところ外部の人に信用してもらうすべはないし、影響力もないわけだが、いずれFIFA総会その他の国際的接触の機会に中国問題がとり上げられれば、日本の態度は明らかになるわけである。
 問題は「それじゃ、台湾はどうするんだ」ということだ。中国は “二つの中国” “一つの中国と一つの台湾” という考えは絶対に認めない。したがって「中国を支持するが、台湾も残しておく」というのでは、中国を支持したことにはならないはずである。
 この間の複雑な事情については、協会首脳部は充分承知している。また日本リーグの有カチームの中には、中国との接触を熱心に希望しているものがある。そういうことが背景にあるのだから、台湾問題についても「もう心配しなくてもいいよ」という “権威筋” の言葉を、当面、信じておくことにしたい。


ムルデカにくじけるな

 ムルデカ大会に参加した日本代表チームは、出足はすばらしかったけれど、結局は3位に終わった。“アジアのタイトル” をとるという悲は、また実現しなかったわけだ。
 予選リーグの最終戦でマレーシアに3対1の負け、準決勝で韓国に3対0の負け、という結果をみると、どうしても、昨年秋のソウル・オリンピック予選を、思い出してしまう。あのとき初戦でマレーシアに負けたときも、スコアは3対1だった。雨の中の試合で、日本が負けたのは雨のせいだという声もあったし、マレーシアの勝ちはラッキーだったに過ぎないとみる人もいたけれども、ムルデカの結果をみれば、あのとき日本が負けたのは実力通りだったのだな、とふに落ちる。自分たちの実力に幻想を抱いてはならない。
 けれども、長沼監督をはじめ日本代表チームの面々には「この結果にくじけるな。これまで通りアジアのタイトルを目ざして、さらにがんばれ」と激励したい。ぼくは日本代表チームの当面の次の目標は1974年、テヘランのアジア大会だと思う。ワールドカップの予選がその前にあって、それはそれで全力を尽くさなければならないのだが、あまりこま切れに目標があっては、腰をすえた強化はできないだろう。しかしアジア大会は、公式の大会であり、日本のサッカーの実カからみて当然ねらうべき恰好のタイトルである。
 昨年のソウル予選のあと、ぼくは本誌にずいぶん手きびしいことを書いた。協会を批判し、岡野監督は “責を負って” 辞任するのが当然であると書いた。それにくらべると、今度のムルデカ大会は、ソウル予選と同じ結果に終わったのに、責任追及が生ぬるいじゃないかという読者がおられるかもしれない。だが、オリンピック予選は、日本代表チーム強化の最終目標にすべき競技会であったのに対し、今回のムルデカ大会はソウル予選後、再建のスタートを切った代表チームにとって最初の機会だったに過ぎない。よいチームを作るには時間がいる。長沼監督にはもう少し時間を貸さなければならない。
 ムルデカ大会での戦いぶりについては、まだ新聞記事を読んだだけなので、選手団が帰国してからじっくり話を聞かなければ、と思っている。
 外電によると釜本が通算15点をあげたのはムルデカ大会の新記録だそうである。
 また対マレーシア戦にあげた日本の先取点は、釜本の約25メートルのオーバーヘッド・キックによるシュートで、これはムルデカ・スタジアムはじまって以来の好シュートだったという。
 釜本の出来があまりすばらしかったので、マレーシアはBKソー・チ・アンを、韓国は金浩をぴったり釜本につけて、その動きを封じたと外電には書いてあった。釜本を助け、やがて釜本を追い越す若手を育てるのが、日本代表チームただいまの課題であり、ムルデカ大会参加がそのために役立ったのなら、今回、釜本に頼って3位に終わったのだとしても、御苦労さんと拍手でチームを迎えてやりたい。


「おはようございます」

 三菱重工の二宮寛監督と西ドイツ・メンヘングラッドバッハのバイスバイラー監督が親交を結んでいることは御存知だと思う。1970年のメキシコ・ワールドカップをいっしょに見学したあと、バイスバイラー監督は、日本にきて那須高原で三菱チームの合宿を指導した。さらにそのあと、二宮監督を連れて西ドイツに帰り、ボルシア・メンヘングラッドバッハのシーズン前の合宿にはいったのだが、そのときの合宿記録を二宮監督に見せてもらって、非常に勉強になった。
 バイスバイラー氏は、メキシコ、日本とまわって帰ったので、選手たちとは久しぶりに顔を合わせたわけである。そこで合宿入りの日に、ミーティングをして選手の気持ちを、ぐいっと自分の方に引きつけようとする。そのスピーチの中の一節 ――。
「みんな、朝起きて顔を合わせたら、必ず “おはよう” とあいさつをしろ。いちいち握手はしなくてもいいが、私 (バイスバイラー) やゲストの二宮氏には握手をする。こういうことも、非常に大切だ……」
 相手は、中学や高校の選手ではない。ネッツァーやフォクツなど西ドイツでも一流のプロフェッショナルである。朝、顔を合わせたら「おはよう」というぐらいのことは、日本と同じようにヨーロッパでも常識なのだが、一人前のおとなのプロを集めて、バイスバイラー監督は、まじめくさって注意を与えたのである。この合宿記録は、二宮・バイスバイラー共著「サッカーの戦術」(講談社版)にも要約して載っている。
 ことしになって、ぼくは若い選手たちと約1カ月間、一緒に生活する機会があった。はじめのころ、朝、食堂で顔を合わせても選手たちは、だまって下を向いて、もぞもぞっとしている。こちらから「おはよう」と声をかけても、ニヤッと笑うのは、まだいい方である。しかし、悪気があるわけではないことは、毎日、毎日、こちらから「おはよう」と声をかけているうちに、終りころには、向こうから「おはようございます」というようになったことで、よく分かった。
 西ドイツヘ2年間留学していた読売サッカー・クラブの宇野勝コーチは「そんなとき、ドイツのコーチは、相手が “おはよう” と返事をするまで “おはよう、おはよう、おはよう” といい続けますからね」といって笑った。日本のサッカーチームの指導者のみなさんも、選手たちに「おはよう」のあいさつを教えてやってもらいたい。選手たちは、みな素直な分かりのいい少年たちであって、自信をもって教えれば、よく分かるのである。
 ただし、下級生にだけ「おはようございます」とか「おっす」といわせて、上級生はふんぞり返っているのは感心しない。最近、有力な高校のサッカー部で上級生が下級生を暴力でこらしめたというようなイヤなウワサを耳にするが、そういう隠湿なことは「おはよう」のあいさつとは両立しないし、良いサッカーをするために、少しも役立たないことである。

 

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