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(サッカーマガジン1972年3月号 牛木記者のフリーキック


高校サッカーの対面交通

 お正月の高校選手権大会を取材にいって、例年とは違うことに、一つ気がついた。それは競技場の記者席に地方新聞が、電話をひいていたことである。ふつう、記事を送稿するために競技場の記者席に電話をつけるのは、全国紙か通信社だけで、地方紙が地元以外の大会で、そこまでやることは、ほとんどない。
 電話をひいた新聞社だけでなく、ほかにも地元チームに同行して取材記者の来ている地方新聞がいくつかあった。それで、はじめて、「ははあ、これはテレビの影響だな」と気がついた。
 高校選手権大会は、今回から全国の民放テレビ38局の協力で全面的に中継放映されることになった。大阪の本大会だけでなく、秋の地方予選から、それぞれの地元局のテレビが中継した。
 北陸予選決勝の魚津高対富山工の中継は、49.5%の高視聴率をあげ、西関東ブロック決勝の韮崎対甲府工も33%だったそうである。これは、ふつうのスポーツ番組では、ちょっと考えられない数字で、サッカーのテレビ中継が、その地方に一大センセーションをまき起したようすが目に浮かぶようである。
 どちらも地元同士の対戦で、イングランドならマンチェスターのシティ対ユナイテッド、スコットランドならグラスゴーのセルチック対レンジャーズ、イタリアならミラノのインター対ACミランのような地元のライバル同士の熱狂的な対決が、日本でもブラウン管を通じて実現したのである。やっぱり、サッカーは、地域と結びついたものじゃなくちゃあな、と思う。
「ちょっと専門的な話なんですけどね……」とテレビ局の友人が教てくれた。「今度の高校サッカーのテレビ中継は、放送史上でも画期的なことだったんですよ。情報の対面交通が実現したわけですから ――」
 つまり、ふつうのテレビ番組の全国ネットは、東京や大阪のキー局が制作したものを地方局に流すだけの一方交通だが、高校サッカー中継では、各地の予選の情報が中央へ流れ、全国大会の映像は各地ヘフィード・バックされたのである。
 考えてみれば、選手権大会はみな、このような対面交通であるのが本当である。郷土の人たちが自分たちの手で代表を生み出し、各地の代表は、自分たちの力で大会を作りあげ、その成果を持ち帰るのだ。選手権を、一つまみの協会役員が作り出しているように錯覚し、一つまみのチームでタイトルをたらいまわししている天皇杯のあり方が、いまさらのように奇妙に思われてくる。


審判二題

 審判について最近気のついたことを取りあげたい。サッカー・マガジンの読者には、お断わりするまでもないことだとは思うが、試合のあとで審判上の問題をいろいろ検討してみて、かりに審判員の技術的な誤りが発見されたとしても、チームや選手が文句をいう筋合いではない。
 審判員は人間であり、審判はむつかしいものであるから、間違いがあるのは当然である。それを承知の上で、審判員の判断に従ってゲームをしようというのが対戦する両チームの約束であり、その約束を男らしく守るのがスポーツである。事後の検討は、将来の誤りを少くしようとする努力のためである。ところで……。
 その一 ―― 元日の天皇杯決勝で、後半16分に三菱のあげた先取点のとき、ゴールキーパーに対する反則があったのではないか、という説があった。左側からのロビングを、ゴール前でジャンプした大久保がヘディングで決めたのだが、このとき同時にジャンプした細谷がゴールキーパーを背後に置いて妨害していたというのである。
 ぼくは記者席で見ていて、キーパー・チャージではないか、という気がしたし、「テレビのスロー・ビデオでは、あれは明らかに反則だよ」という人もいた。
 しかし、これはレフェリーの判定の問題であり、しかもレフェリーはスロー・ビデオで判定するわけではないのだから、倉持主審が反則をとらなかったことに、異議を唱える気持ちはさらさらない。
 ただ、たとえばコーナーキックのときなどに、攻撃側がゴールキーパーの動きを制約するためのプレーヤーを一人配置するのは、最近目立っている戦術的傾向である。これに対して十分注意することを、審判技術上の問題として御研究願いたい。
 その二 ―― 高校選手権の準決勝、習志野対帝京の試合は、後半37分のPKで決まったが、このとき、どんな反則があったのか、スタンドから見ていて分からなかった。後できくと、コーナーキックから上がったボールを混戦でせりあったとき、帝京の選手が腕でボールにさわったのだという。これを反則にとるかどうかは主審の判断の問題であるが、この場合については、多少ぼくにも意見がある。
 競技規則第11条の1の直接フリーキック (この場合はPK) になる反則は「故意に違反をしたとき」にとることになっている。
 現実の問題としてペナルティ・エリアの中では、よほど例外的ケースでなければ、守備側がPKの危険を犯して “故意” に反則することはない。しかし、その違反で攻撃側がいちじるしく不利になったときは、主審が「故意の反則であった」とみなすことができるわけである。
 この高校サッカー準決勝の場合は、主審のフエがなるとほとんど同時に、習志野のシュートがみごとにバーをたたいた。というわけで、ここがPKをとるべきケースであったかどうかは、規則解釈上の問題として御研究願いたい。
 この試合のあと主審は「ハンドの反則をとったが、ほかにプッシングなどもあった」と語ったそうである。これは主審としては、ひと言多いと思う。ハンドの反則をとったことはゼスチュアでも人々に知られているが、とらなかった違反にまで言及することはない。


サッカー狂会の会報

“キチガイ会” といえば、知っている人は知っている。熱狂的なサッカー・ファン、というより日本のサッカー・ファンの先覚者といったほうがいいかも知れない。そういう人たちが作っている「日本サッカー狂会」のことである。
 この狂会ができて10年になり、ガリ版刷りの会報「FOOTBALL」が19号を出した。この会報は愛知県知多郡東浦町のサッカー和尚こと、東光寺住職・鈴木良詔さんが自分で編集し、自分でガリ版を切って出しているが、そのおもしろさは、ちょっと他に類がない。
 最高の読み物は、ブエノスアイレス在住の老ファン、太田一二氏が地球の裏側から小まめに送ってこられる「アルゼンチン便り」だ。鈴木和尚あての私信だが、天衣無縫の名文で、南米のサッカーの事情だけでなく、ラテンの人たちの楽天的な人生風景を、生き生きと点描している。
 サッカーに直接関係のない内容の手紙まで全文掲載してあるのは、ふつうの商業雑誌では真似のできない芸当だが、民衆の生活ぶりを知ることによって、民衆の中に生きているサッカーのおもしろさを、いっそう深く知ることができる。サッカーを技術的、戦術的にしか見ることのできない不幸な人々よ、のろわれてあれ!
 技術的、戦術的にも、示唆に富んだ記事がたくさんある。韓国チームが南米遠征したときのようすを知らせた太田老の手紙の一節。「韓国も、先日来た三菱も敵ゴール前での勇敢さが乏しいように思われます。先日エスツデアンテスのベロンが膝の高さの球をヘディングゴールしたのは、その方が早く確かだったので、顔を蹴られる危険を冒してゴールヘねじ込んだのです。“NO RISK,NO GAIN”。韓国側のヘディングは比較にならぬほど劣っていました…… (中略) ……アジア大会でこの韓国に日本が押していながら敗れたとは余程運が悪かったのですね」
 神戸の角谷進一氏の文章からも一部を紹介させていただこう。このかたは選手としても、ファンとしても、相当のキャリアをお持ちのようだ。
「ゴールのバーを高く越えるショットを吾々はナショナル・ショットと呼んでいます。日本のナショナル・チームのショットの大半がこの揚げ球を蹴っているからです。この原因は蹴る時に止まることです。あるいは体勢が後ろにくずれることです。私共は中学時代 (旧制) から、自分のシュートした球を敵のゴールネットから持って帰れ、と教わってきました…… (中略) ……ナショナルチームヘ、オールドプレイヤーとしての御忠告です」
 この会報を出しているだけでも狂会の存在価値は十分にある。

 

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