(サッカーマガジン1972年11月号 牛木記者のフリーキック
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入替え戦をやめよう
日本リーグが来年から1、2部各10チームになるについて、入替え戦をどうするかが、問題になっている。
現在は1部8チーム、2部10チームだから、今年から来年にかけては、2部の上位2チームを1部に上げる。これは当然だと思う。2部に新たに加える2チームは社会人の上位チームで、リーグ入りを希望するものの中から指定するほかはない。
問題は来年以降、1、2部の入替えをどうするかである。
ぼくは、このさい、入替え戦をいっさい、やめてしまうよう提案したい。来年の1部最下位チームはその次の年は2部にさがり、2部の1位チームは、次の年は1部で試合をする。自動入替えである。
入替え戦には、明白な弊害がある。リーグのシーズンは長丁場 (チーム数が増えればなおさら) であるのに、入替え戦は短期決戦だから、極端なことをいえば入替え戦だけにマトをしぼってコンディションを整え、強化を策すことができる。
これは冗談や仮定の話ではなく、昨年まで、実際にあったことだ。日本リーグの最下位候補は、シーズンの終りころになると、リーグの試合よりも、下からの挑戦者に目を向けて準備をはじめる。ところが下部のチームは優勝して挑戦権を獲得するために最後まで死力をつくして戦わなければならないから、それだけでも大きな不利がある。
入替え戦を廃止すれば、このような弊害はなくなって、本来のリーグの試合が充実してくるだろう。1部のチームは、最下位になれば自動的に2部落ちだから、最後まで必死にがんばるし、2部のチームは、1位になれば直ちに報われるのだから、リーグの試合にいっそう身がはいる。
1、2部に格差があり過ぎるから入替え戦が必要だというのは、たいてい上部のチームの目先きのきかないエゴイズムである。力のあるチームは2部に落ちても、1年待てば必ず復帰できるはずである。入替え戦の壁があると、2部のレベルの試合になじんだチームは、なかなか入替え戦に勝てないということになりかねない。そうすれば1、2部の格差は、ますます固定するばかりである。
入替え戦は、日本独特の習慣で、外国のサッカー・リーグは、ほとんど自動入替えである。日本のサッカーで入替え戦がはじまったのは、昭和27年度の関東大学リーグからだろうと思う。それまで関東大学リーグは1部6校で、最下位は必ず2部に落ちた。その当時、2部に落ちたことのない
“名門校” は早大と東大だったが、その東大が最下位になりそうだというので、入替え戦制を作ったのである。
最初の入替え戦は、たしか東大−青学大で東大が7−0で大勝し所期の目的を達したが、その後、1部を7校にし、8校に増やして東大は2部落ちをまぬかれていたものの、昭和31年度に、ついに入替え戦に負けて2部に落ちた。
以来、1部復帰ができずにいるが、入替え戦制がなければ、27年に2部落ちしても、すぐ1部に返り咲いていたはずである。
ぼくは、そのころ東大のサッカー部のマネジャーなどをやって多少そういう陰謀に加担していたので、現在はいささか当時のことを反省し、うしろめたい思いで「入替え戦廃止を提案」しているわけである。
■ 日中サッカーの正常化
「君子は行くに径によらず、ということがある」
とある人がいった。
「なんだい。そりゃあ」
とぼくが聞き返した。
「正しいことをする人は小道を通らない。天下の大道を行くというんだな」
「なるほど……」
ぼくは、ときどき近道をする方だから、内心ちょっと、こだわるところがある。
「日本と中国のサッカーの試合をそういう形でやろうという話は、径によるものじゃあないのかな」。
話というのは、こうである。
中国はFIFA (国際サッカー連盟) に復帰していない。FIFAには、非加盟協会との交流を禁止する規定があるから、日本が中国と正式のサッカー試合をしようとすればFIFAの規則違反になる。しかし日中のサッカー交流をやろうというのは、押えようにも押えきれない世論である。
そこで日本蹴球協会の一部の人たちは、こう考えた。
来年1月の朝日国際サッカーに中国の代表チームを招待しよう。もしFIFAが、規則違反だといってとがめてきたら、平謝りに謝ろう。しかし、これまでのほかの例からみて、とがめだてされる可能性は少ないから、その場合には、ほほかむりをして押し通そう
―― というのである。
もちろん、これは一部の人たちが考えたことであって、朝日国際サッカーに中国を招待することが簡単に実現するとは思えない。
ともあれ――。
「こういうやり方が、小道をくぐり抜けるような、みみっちいやり方だとすれば、大道を行くには、どうすればいいんだ」
「日中サッカー正常化の大道は、中国をFIFAに復帰させる努力をして、交流をすることじゃあないのかい?」
「だけど、それには台湾の問題がある」
「そこだよ。台湾の問題をごまかして、小道を行くようなやり方では、中国だって応じないだろう。台北の足球委員会
(蹴球協会) と北京の足球委員会のどちらが中国のサッカーを代表しているかといえば、北京の方だということは明らかだと思うがね。そこのところを、はっきり認めなくては……」
「そうすると台湾でサッカーをやっている人たちは、どうなるんだ」
「それは中国内部の問題になるわけだが、筋を通したうえで、その後に処理を考えることができるのではないだろうか」
「しかし、8月にパリで開かれたFIFA総会のときに、中国の復帰は問題にならなかった。したがって少なくとも2年後の次の総会までは、日中サッカーの正常化はできないことになるな」
「いや、ぼくのいうのは、この問題に対する日本蹴球協会の腰のすえ方なんだよ。パリのFIFA総会にさいして、日本は中国問題について、なにか大道をゆくような努力をしたのかい?」
たしか、パリのFIFA総会には、岡野俊一郎氏が出たはずだが……。いったい、そこんとこはどうだったんだろう。今度会ったらたしかめてみなくちゃ……。
■ ホーム・チーム・ファースト
第1回日韓サッカー定期戦はどしゃ降りの雨の中だった。記者席にまで降り込んでくる雨に首をすくめながら、プログラムをひろげてみて「またか!」と、ぼくは舌打ちした。
プログラムの表紙には、大きな活字で「韓国代表対日本代表」と印刷してある。2段になっていて上段やや左寄りに「韓国代表」とあり、下段やや右寄りに「日本代表」とある。これがおかしい。
表紙をめくると第1ページに日本蹴球協会野津謙会長のあいさつがあって、その下の方に、試合の日程が書いてある。ここも左側に「韓国代表」とあり、右側に「日本代表」とある。
この試合がソウルで行なわれるのなら、これでいい。だが、ご承知のように、会場は日本側、東京の国立競技場だった。こういうときには、地元のチームを先
(左書きの場合は左) に書くのがサッカーの慣習である。だから、このプログラムの場合は、左に日本代表、右に韓国代表となっていなければならない。
“Arsenal vs Ajax” とあれば、ことわるまでもなく、これはロンドンで行なわれる試合である。逆に
“Ajax vs Arsenal” とあれば、これはアムステルダムで行なわれる。ホーム・チームの方を先に書くのが、国際サッカーの常識である。ヨーロッパの新聞では、会場の名前を書いてないことさえ多い。先に書いてあるチームのホーム・グラウンドで試合があることが、分かりきっているからである。代表チーム同士の試合でも
“England vs West Germany” とあれば、この試合はイングランド国内で、ふつうはロンドンのウエンブレー競技場で行なわれる。
国内のリーグでもそうである。日本リーグでもそうである。日本リーグでは最初からそうなっている。
「東洋工業−三菱重工」といえば、これは東洋工業のホームゲームで、原則として広島で行なわれる。
ところが日本蹴球協会主催の国際試合では、いつもビジターの方が先になっている。ぼくが「地元の日本チームを先に書くべきじゃないか」と協会の人に注意したことも何度かあるが改めてくれない。ぼく自身がプログラムの編集を手伝ったこともあって、そのときには日本を左に書くのだが、そうすると必ずあとで問題になる。
というのは日本蹴球協会の実力者である小野卓爾常務理事が、がんこに、来訪チームを左にすることを主張しているからである。小野さんの主張の根拠は「国際儀礼上、左側が上位だから、お客さんを左にするのが礼にかなっている」ということらしい。念のため外務省の儀典課に電話して聞いてみたら、「国旗の場合は向かって左側が上位とされていますが、特に規則があるわけではありません」とのことだった。
ぼくも、がんこに自分の考えに固執するつもりはない。しかし日本のサッカーが、国際的な感覚を欠いたやり方で趣味的な運営をされるのは困ると思う。だから読者の方の意見もききたいと思って、ここに取りあげたしだい。
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