(サッカーマガジン1971年6月号 牛木記者のフリーキック
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友好第一、試合第二
中国の卓球チームが5年ぶりに日本に来て各地で交歓試合を行なった。プロレタリア文化大革命のあと、初のスポーツ・チームの来日であり、文革でスポーツ選手の人間像が、どう変ったかが注目された。
「友好第一、試合第二」が中国卓球チームの標語だったが、実際、選手たちの態度は、実に立派だったと思う。一人一人が「友好第一」の意味をよく理解して、競技場の中でも外でも、それを実行していた。東京で行なわれた最終戦で、審判が中国の選手の勝ちを宣したのに、その中国の選手が、最後の1球で自分に反則があったことを、自分から申し出て、プレーをやり直し、そのために逆転して日本選手が勝った場合があった。
この中国卓球選手のフェアプレーが新聞にのった日に、アジア・ユース・サッカー大会で、香港のチームが、PKをとられたのに不満をもって座り込みをして、放棄試合になるという事件が起きた。ぼくは、サッカーはすばらしいスポーツだと信じているが、こういう事件が起きるのは、実に無念、残念である。
サッカーは大衆のスポーツだ。座り込み事件のような間違いを起こすのは、大衆の中のごく一部に過ぎない。しかし、人気スポーツであるだけに、一部の間違いも大きく伝えられるし、悪い影響が広がる心配もある。
ぼくは、このような事件を防ぐために、日本蹴球協会は、規律統制委員会 Disciplinary Committee
を設けるべきだと書いたことがある。いまのところ、協会は聞く耳をもたぬようだけれども、今度、中国の卓球選手たちの態度を見て、規律委員会を作るだけではダメだということに気がついた。
規律委員会は、必要だけれども、委員のおじさんたちが、「スポーツで大切なのはフェアプレーである。みんなフェアプレーでやれ」とお説教しても、たいして効果はないだろうと思う。
ぼくの新しいアイデアは、こうだ。
(1)協会に規律委員会を作る。会長をふくめ3人くらいのメンバー。
(2)規律委員、審判委員、技術委員が集まって「どのようにしたら、サッカーが社会の役に立つか」という観点から徹底的に討論する。
(3)討論してまとめた資料を、加盟チーム全部に配布する。
(4)全国のすべてのチームが、この資料をもとにして討論し、自分たちの考えを、協会に集める。
このような手続きで、サッカー・マンの新しいモラルを作り出そう。サッカーは大衆のスポーツなのだから、大衆討議によって、自分たちのスポーツを良くしなければならない。
こんなことを書くと、なんと他愛のないことをいっているか、とあざ笑う人が出るだろうが、日本蹴球協会50周年記念事業としてやるには、もっとも有意義な企画だという気がする。
■ 三菱のサッカー
日本リーグの71年度開幕第1戦で、三菱重工が、日立製作所に7−0で大勝した。これをみて「ことしの三菱は違うぞ」という声が起きた。
ところが第2節には新日鉄に “自殺点” で負けて「やっぱり、たいしたことはないや」ということになった。第3節は古河に3-0の快勝。どうなってるのか、さっぱり強さのほどが分からない。
ぼくは、第3節の対古河 (ナイター) を見ただけだが、少なくとも攻撃については「ことしの三菱は前とは違う」と思う。
第一に三菱のフォワードは、ドリブルがうまくなっている。杉山は、もちろん、もともとドリブルの名人だが、さらに一段と円熟味を増している。足の速さだけ、切り返しのすばやさだけではないものがある。相手の出方を読み、味方の次の動きを計算して、相手を抜き去っている。すばらしい。細谷も大久保も、いいドリブルを見せた。自信を持ってドリブルをしていることが、走り方で分かる。
第二は、守から攻に転じるときの縦パスの攻めが、良くなっている。味方がボールを奪うと、フォワードとハーフが、いっせいに攻め上がる。その上がり方に、リズムと適当な間と角度があって美しい。土の上を、長い竹ほうきで、低くさあっとはいた感じである。そのうちの1人、相手のバックとせり合っている味方に、すばやいパスが出る。このようなパスは、相手のマークから離れている味方に出すよりも、相手がくっついている味方に出たときに成功することが多い。相手を決定的にせり落として、抜き去ることができるからである。もちろん、パスが正確に、受けるほうの処理しやすいポイントに出ればの話だが……。
とにかく、ドリブルヘの自信と、タマ離れの早いパスが両立しているのが、この夜の三菱の勝因だった。
たった1試合だけを見て「ことしの三菱は違うぞ」と信じ込んだのは、三菱の試合ぶりが、シーズン開幕前にきいた二宮監督の話と符節を合わせていたからだ。
二宮監督は、昨年6月にメキシコのワールドカップを見に行き、そのあと西ドイツ・メンヘングラッドバッハのバイスバイラー監督を招いて、三菱の合宿を指導してもらった。
バイスバイラー監督は、クラーマーさんと同じ西ドイツのサッカーを教えたが、重点の置き方と考えの進め方に、クラーマーさんとは多少違った点もある。大ざっぱにいえば、クラーマーさんは理論的であると同時に、基礎技術指導の神様であるが、バイスバイラーさんは実戦指導の雄である。
バイスバイラーさんの強調したことは、ドリブルの重視と、4・3・3システムを生かしたすばやい攻めだったという。
二宮監督は、バイスバイラーさんの話と指導ぶりを、全部記録し、コピーを作って三菱の選手たちにくばり、チームで討議したという。その成果が、少なくとも対古河の試合では出ていると思った。
二宮監督は、バイスバイラーさんの指導をもとに、三菱チームの考えをまとめたものを本にする計画をもっている。三菱の新しいサッカーが成功するかどうか。楽しみである。
■ ラーマン杯紛失の怪
日本蹴球協会50周年記念事業として、アジア・ユース大会が、日本で開かれた。この原稿を書いている時点では、まだ予選リーグが終ったところだが、日本のユースは、3連勝無失点で準々決勝に進出、予想以上に好調のようである。
ところが、大会運営のほうはこれまでのところ、はなはだ評判が悪い。これは予想通りというところである。
東京オリンピックの翌年の春に、東京でユース大会をやったときは、世田谷の東京学芸大学付属高校のグラウンドのそばに、プレハブの長屋をたてて、そこに選手たちを入れた。選手たちは、暖房がないのでガタガダふるえ、かいこダナに押し込められて、ふんがいしていた。当時の協会の機関誌にのった役員の報告には、万事うまくいって、各国から感謝されたように書いてあるが、実情はひどかった。協会50年の歴史に、間違いがあってはいけないので、ここに明記しておこう。
今回は、元オリンピック村の代々木青少年センターに選手たちを入れた。前回ほどではないが、やはり不満続出である。せまい部屋に大勢押し込められた、食事が中華料理ばかりで口に合わない
―― などである。日本の老役員たちが、自分たちの狭い見聞と判断と予算の都合で計画をたて、選手の身になって考えないのだから当然である。
開会式では、純金のラーマン杯が行方不明になって大さわぎになった。
翌日、タイのチームが持ってきていることが分かって、一安心したものの、ちょっとしたミステリーだった。
ぼくがおかしいと思うのは、開会式の準備などは、十分やっているはずなのに、その日になるまで、カップの所在を確認していないという、いい加減さである。これは明らかに日本の役員のミスである。
なにしろ、東京オリンピックのとき「これが一生一代の光栄」とばかりに役員をつとめた人たちが、7年後のいまも、同じ顔ぶれで役員をつとめ、同じやり方で「これでいい」と思っている。これでうまくいくはずがない。
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