(サッカーマガジン1971年5月号 牛木記者のフリーキック
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選手にステーキを食わせる法
「おれは、日本に生まれないで良かったとつくづく思うよ」
ディック・マイルズというアメリカ人に、こういわれたことがある。この男は1948年にロンドンで開かれた世界卓球選手権のとき、混合ダブルスで優勝したことがある。
「たった1度タイトルをとっただけだけど、おかげでおれは有名になり、生活するにも、だいぶ助かった。その点、日本には卓球の世界チャンピオンはたくさんいるが、卓球人口の多いわりに、まったく気の毒なもんだよ」
ぼくは、マイルズの意見に全面的に賛成するわけではないが、日本のスポーツマンがその能力のわりには恵まれていないという指摘は、まったく正しいと思った。
サッカーの日本代表選手についても同じことがいえると思う。日本代表チームの合宿や遠征のたびに、勤務先を休まなければならない。そのために、昇進が遅れ、給料も上がりにくい。それでいて、スポーツをするために食費は人なみ以上にかかる。
クラーマーさんも、「日本の選手は、毎日、上質の蛋白質をとらなければならない。つまりステーキを食わなきゃいけない」といっていた。しかし、ふつうのサラリーマンが毎日ステーキを食ってたら、家計はパンクしてしまう。
4月から9月まで、つまりミュンヘン・オリンピック予選まで、日本代表の候補選手たちに、ステーキを食わせることを考えた。
ステーキ1枚1000円とする。東京のレストランで食べると、2000円はかかるけど、安く仕入れる方法を考えてもらうことにする。代表候補の数は、かりに33人としよう。1チーム分の3倍である。4月から9月まで、この33人に毎日ステーキを食わせると約600万円かかる。
そこで、この600万円をどうやって集めるかだが、実は、協会の技術委員長の長沼健さんのところに「日本チーム強化のために、思うように使ってくれ」といって、300万円をあずけた人がいるらしい。御本人の意思に反するかも知れないから、ここでは、その人の名はあかさないでおく。
かりに、この300万円をステーキ代とすると、あと300万円。1口5000円で募金すれば600人以内の有志をつのればよい。
ということにして、ぼくも、このサッカー・マガジンの原稿料の中から、毎月5000円を今後6カ月間、長沼健さんにあずけることに決心した。そうすると残り594口になる。読者の中にも有志の方がおられたら、「選手にステーキを食わせる運動」に加わって、サッカー・マガジン気付で長沼健さんに、1口5000円を送ってやって下さい。とく名でなく住所氏名を明らかにして、送って下さい。
ただし、23歳未満の若者諸君は、名誉会員ということにします。お志だけで結構です。7円の葉書で、選手たちを励ます言葉を書いて送るだけにして下さい。本当に5000円持っているのなら、自分でステーキを食って、ボールをけって下さい。
■ 小さなボールをけろう
サッカー・ブームだといわれはじめたばかりのころの話である。
ぼくの友人が、幼稚園に行っている子どもに「サッカー・ボールを買ってくれ」とせがまれた。ちっちゃい子だから、ふつうのボールは、けれっこない。うちにあるゴム製の手まりでいいじゃないかと、なだめたけれども承知しない。
仕方がないから運動具屋で、ふつうの大きさの白黒ボールを買ってきてやった。ところが「これは違う。サッカー・ボールじゃない」と、またがんばる。
ゴム製で白黒に塗ってあるやつを買ったのだが、縫い革ボールが本式だということを、ちゃんと知っているのである。
ぼくの友人は、かぶとをぬいで、正式の公認球を買って与えた。とても使いこなせないから、いまは縁側のすみに、ころがりっ放しになっているそうだ。
ぼくが毎日通勤のために乗る電車は、東京の下町を通る。野球がさかんな地域で、日曜日には(スポーツ記者にとって、日曜は出勤日だ)、校庭や空き地で、子どもたちが草野球に興じているのが、必ず車窓から見えた。サッカー・ブームも、このあたりでは無縁のようだった。
ところが、最近になって、急に子どもたちが、ボールをけって遊んでいるのが目につくようになった。それも大きなサッカー・ボールではなく、小さなゴムまりを、2組に分かれて追いかけて、石を二つ並べたゴールに入れっこしている。外国の町かどでは、必ず見かける風景である。
サッカー・ブームは、もう下火だという。
だけど、ブームにつられて、大きな白黒ボールが売れ、少年サッカー・スクールで、お行儀よくインステップ・キックを習っている間は、日本のサッカーは、まだ本物でないのではないかと思う。
下町の子どもたちが、小さなゴムまりをけって遊ぶ。こっちの方が本物ではないか。
■ サッカーの日中交流のために
3月下旬から名古星で開かれた卓球の世界選手権大会に、中国選手団が参加して注目を集めた。中国は文化大革命のため、国際スポーツ界から一時姿を消していたので、卓球の世界選手権へは6年ぶりの復帰、日本へのスポーツ・チームの来日は4年半ぶりである。
中国が世界卓球に参加したのは、文革後の国の安定ぶりを示すものだと思うが、それでもこれには三つの条件があった。
一つは、日本卓球協会の後藤ナ二会長が北京へ行って話し合い、中国の対日政治三原則を認めた上で、それにもとづいて日中の卓球交流を復活することにしたことである。「政治三原則」ときいて日本国内では、たちまち、「スポーツに政治を持ち込むものだ」とアレルギー症状を起こす者がいた。こういう人たちは「政治三原則」の内容を本当に知っているのかどうか、疑わしい。
(1)中国を敵視しないこと (2) “二つの中国” を作る陰謀に加わらないこと (3)日本と中国の国交回復に努力すること、というのが政治三原則の内容である。
スポーツを通じて友好を深めたいと願う者が、相手の国に敵意を持ったり、相手の国の分裂を策したりするだろうか。スポーツ交流をしようと思う者にとって、三原則は当然の前提であると思う。
中国が世界卓球に参加することの出来たもう一つ条件は、国際卓球連盟が、中国卓球連盟を、中国を代表する唯一の卓球組織として認めていることである。そうでなければ、中国には世界選手権への参加資格がなかったし、中国も参加しようとは、しなかっただろう。
サッカーの場合にはどうか。
日本代表チームは、14年前の1957年に中国を訪問した。しかし、その翌年の1958年に中国が国際サッカー連盟
(FIFA) から脱退し、その後、公式の交流は途絶えている。中国がFIFAを脱退したのは、FIFAが台湾にある
“中華民国サッカー協会” を認めていたからである
したがって、日本と中国がサッカー交流を復活しようと思ったら、そのための努力の第一歩として、次のようなことを考えなければならない。
まず、中国のサッカー協会を中国を代表するサッカーの組織として、FIFAに復帰させることである。この場合、中国を代表するサッカー組織は一つでなければならない。
次に日本のサッカーマンは、中国のサッカーを世界の仲間に引き入れる条件を作り出すために、積極的な姿勢をとらなければならない。
ぼくは「中国に迎合して卑屈な態度をとれ」といっているわけではない。間違った状態を正し、隣の国のサッカーマンに手をさしのべようというだけのことである。大衆のスポーツであるサッカーが、8億の人口を持つ中国を仲間はずれにしておくのは、正しくない。
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