(サッカーマガジン1971年12月号 牛木記者のフリーキック
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東京12チャンネル、ありがとう
もし “サッカー・マガジン賞” というようなものがあって、ぼくが選考委員長だったら、1971年のサッカー・マガジン賞は、東京12チャンネル・テレビのスポーツ部に贈りたい。
メキシコのワールドカップの全試合を、1年間にわたって放映しつづけたことは、日本のスポーツ放送史の上でも、画期的なことだったと思う。日本のサッカーにとって、いかに有益であったかは、今後、10年たってみて、はじめて真価がわかるといったような大きなものであるに違いない。
「なに、スポンサーがついたからさ」という人もいた。もちろん、スポンサーの三菱グループには、大いに感謝している。しかし、いい仕事は、現場の人たちの非常な熱意と努力がなければ、決して完成しないものである。だからスポーツ部の現場のスタッフには、もっと、もっと感謝していい。
12チャンネルの放映が見られない地方の人びとには、この “表彰” に、不満があるかも知れないが、12チャンネルの放映のおかげで、関西、広島、長野などでも、引続いて同じビデオによる放映が見れるようになった。サッカーの番組が、民放で全国的に見られるようになるには、もうひと息である。先駆者には敬意を表さなくてはならない。
岡野俊一郎氏の解説も、みごとなものだった。“芸” に近いといっていいだろう。テレビの解説は、ただ、サッカーを知っているとか、名コーチであるとか、話術がうまいとか、いうことだけで、できるものではない。
視聴者には、たまたまスイッチをひねったら映っていたので見たという人もいるし、月曜日だけはなにがあっても、カラーテレビのあるところに押しかけるというマニアもいる。いろいろである。いろいろな人を満足させる解説はむつかしい。金子アナウンサーとの呼吸も実によかった。
“通” の中には「あの場面の人物は違っていた」とか「あのチームのディフェンス・ラインは、こうだったはずだ」とか、小さないい違いを鬼の首でもとったように、いう人がいる。しかし、ジャーナリズムの仕事では、とっさの間の間違いは避けられないものである。全体を通して、あらゆる人びとに、サッカーの真髄とおもしろさを味わってもらうほうが、より重要である。
先月号にちょっと書いたように、ぼく個人の意見としては、日本代表チームの監督が、この種のテレビの解説をすることには賛成しない。ここで、いちいち説明する余裕はないが、いろいろな弊害があるからである。
ただ、岡野氏が実に得がたいタレントであって、テレビのスポーツ解説で良い仕事を残したことは、間違いのない事実である。
■ ライン・ディフェンス
日本のサッカーでは、守備ラインは、マン・ツー・マンで守るものだということになっているらしい。4・3・3システムの試合だと、相手の3人のフォワードに、バックが3人べったりとついていて、その背後にスイーパーがひかえている。そんなイメージが固定してしまっているのではないか、と思う。
しかし、世界のトップ・レベルのサッカーでは、マン・ツー・マンによる守備ラインは、むしろ少数派に属するのではないだろうか。テレビや映画で御承知のように、1970年のワールドカップで優勝したブラジルのディフェンス・ラインは、4人がゾーンで守っている。ここで
“ゾーンで守る” というのは、たとえば相手の左ウイングが、フィールドを横断して逆サイドヘ走っても、右のバックのカルロス・アルベルトは、いっしょについて走らないで、自分のチームの右サイドの地域
(ゾーン) をカバーしているということである。
“ライン・ディフェンス” という言葉が日本の新聞にのったのは、メキシコ・オリンピックで、日本チームがフランスと対戦したときが、初めてではないかと思う。フランスは、守備ラインが浅く、ほぼ横一線に近く、相手の攻撃をオフサイドになるように仕向けて守った。このライン・ディフェンスは、ブラジルと同種のゾーンの守りである。
イギリスでも、ゾーン・ディフェンスが多く使われる。トットナム・ホッツスパーが来日したとき、ムレリー選手が「日本チームはなぜスイーパーを置いて守るのか。オフサイド・ディフェンスをやってみてはどうか」といっていた。これもライン・ディフェンス
―― すなわち守備ラインをゾーンで守ってみることをすすめたものだろう。
ムレリー選手自身は、メキシコのワールドカップで、イングランドがブラジルと対戦したときは、ペレをマン・ツー・マンでべったりマークした。しかし、イングランド・チームの基本的な守備ラインの守りはゾーンだったのである。
現代のサッカーでは、ライン・ディフェンスには明確な長所がある。マン・ツー・マンで守っている場合には、相手の左ウイングAが逆サイドヘ走ると、マークしている右バックのaもついて走るから、自陣の右サイドにぽっかり穴のあく心配がある。相手のバックが、後方から、そこをついて攻め上がってきたら非常に危険である。しかし、ライン・ディフェンスで、ゾーンで守っていれば、Aが逆サイドヘ走っても、aは残っているから穴のあく心配はない。
攻めのときには、守備ライン全体を押し上げてフォローするから、攻めに厚味もあるし、バックが前線へ出て攻撃に加わるのも楽である。
日本リーグの後期になって、いくつかのチームがディフェンス・ラインに新しいくふうを加えている。完全なゾーン・ディフェンスに踏み切ったチームはないようだが、その芽が出はじめたのかも知れないと思う。
■ 小さな改革
ソウルのミュンヘン予選が終って間もなくのある日、東京・渋谷の岸記念体育会館内にある日本蹴球協会
(サッカー協会) の中が、ぱあっと明かるくなっていた。オリンピックに行けないことになって、暗く沈んでいるかと思ったら、逆に明かるくなっていたから、目を洗われる思いだった。
なぜ明かるくなったかというと、事務室の間を仕切っていた、戸棚兼用のつい立てがなくたったからである。
7年前にサッカー協会の事務所が、現在の場所に移って以来、事務室の内部は図のようになっていた。
戸棚ひとつが厚い壁であって、窓側の、さんさんと陽の当たる場所は、協会の実力者によって占められていた。居心地のよい場所はお偉方の専用だった。
協会から、高いとはいえない (だろうと思われる) 給料をもらって働いている人たちは、陽のさし込まない戸棚のかげに押し込められていた。
建物の構造が、そうなっているのであれば、やむを得ないかも知れない。だれかが日かげに入るほかにないからである。ところが仕切りの戸棚は、あとから置いたもので、簡単に移動できるのである。いまどき、働く人たちを、わざわざ悪い環境に置こうとする企業があるだろうか。ふつうの会社だったら労働組合がだまっていない。
ぼくは、“陽の当たる場所” にすわっていた人たちに「仕切りをとったらどうですか」と進言したこともある。“陽かげの労働者”
に「戸棚をはずしちゃえよ」と、けしかけたこともある。しかし、実カ者の壁は、なかなか堅固だった。
ことしの春に、沖朗さんが、新しい事務局長として協会に入ってきたとき、ぼくは沖さんが、この壁をどうするだろうかに注目したが、あえて「この棚を除くべきですよ」とはいわなかった。
沖さんが来て6カ月たって、ようやく、小さな壁が、ひとつ除かれた。
これが沖さんの発意かどうかは、確かめてないのだが、常識ある人だったら、だれだって、みんなに気持ちよく働いてもらいたいと思うだろう。
ぼくは改良主義者ではないから、このような小さな改革を積み重ねていけば、日本のサッカーを根もとから良くすることができるとは思っていない。根もとから良くするには、徹底的な大手術が必要である。
しかし、協会の事務室の中が明かるくなって、宮崎事務局次長の頭上に、さん然と陽光が輝くようになったのは、小さくとも貴重な改革には違いない。
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