サザンプトンを見て
(サッカーマガジン1970年7月号)
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原爆ヘディング
ロン・デービスのような選手のすごさは、その風貌、その体格、そして、そのプレーぶりを、目のあたりに見ないと、ほんとうにはわからない。
サザンプトンの第1戦の前日、ぼくは読売新聞に予想を書くために、デービスのことをなんと形容しようかと、ないちえをしぼった。
手もとにあるイギリス・サッカーのWho’s Who(選手名鑑)には、こう書いてある。
「世界超一流のストライカーとして知られ、またゲーム中のヘディングがもっとも強い選手である。チェスターからルートンへ移るとき1万ポンド(当時約1000万円)、ノーウィッチへ移るとき35000ポンド(当時3500万円)、1966年にサザンプトンに移るときは55000ポンド(当時5500万円)の移籍金だった。現在のウエールズ代表選手。1966〜67年と、1967〜68年のシーズンに2年連続得点王、あのときは、ジョージ・ベストと得点王を分けあった。」
この記事と、いっしょについている写真から、がっしりした体格の、ヘディングの強シューターであることがわかる。
また、現在、マンチェスター・ユナイテッドへ20万ポンド(約1億7000万円=換算率が前のと違うのは、ポンドの切下げがあったため)で移籍の交渉が行われているというニュースが出ていたから、目下、ぐんぐん株をあげている現役のバリバリだということがわかる。
こういう材料を並べてみて、なにか、いいキャッチ・フレーズはないかと考えた。
イギリスの雑誌に「ダイナミック・イン・ゼ・エア」という表現があったから “空飛ぶダイナマイト” というのは、どんなもんだろう。
「得点をねらうときには、まったくファンタスティックだ」というのもあったが “意表をつく強烈ヘディング”
ではどうか……などと考えたが、どうも、みんなずれているみたいだ。
結局、「世界の3大ストライカーのひとりということができるだろう」と、平凡、かつ、あいまいなことを書いたのだが、第1戦の翌日、東京中日スポーツをみたら、1面に「デービス、原爆ヘディング」という大見出しが出ていた。
なるほど、スポーツ新聞はうまいことを書く。だけど「原爆ヘディング」という表現がそれほどオーバーでないと感じるのは、実戦が、その破壊力を、まざまざと見せつけられたあとなればこそである。
■ 怪物ロン・デービス
第1戦の試合開始後1分にいきなりデービスの一発目が日本のゴールを襲った。バーの30aほど上をライナーでかすめたが、ワクの中に飛んできたら、とても防げそうにない。この一発をみて、用意していたあらゆるキャッチ・フレーズは吹き飛んだ。
39分、右からあがったボールに合わせたデービスのヘディングで、サザンプトンが1点目をあげる。試合のあとで小城選手が「あのときは無我夢中で、だれをどうマークしてせり合ったか、なにも覚えていない」といっていた。
後半9分に左すみ近くのフリーキックからペインのけったボールを、ゴール正面右寄りでデービスがヘッド・バックしチャノンのヘディングで2点目。さらに左コーナーキックからデービスがヘディングでシュート。日本の守備陣がはね返したのを再びけり込んだ。サザンプトンの3点には、みなデービスのヘディングがからんでいる。
当たりとせり合いの激しさ、みごとなオープン攻撃、ゴールをねらう鋭さなど、テレビで見ているイギリス・サッカーの典型的なやつをみせてくれたサザンプトンだが、ファンにとっての大きな収穫は、ロン・デービスの実物を見ることができたことだと思う。あの迫力は、テレビの小さな画面からだけでは、ちょっと無理である。
前の日に、日本チームの岡野監督は「宮本輝が負傷で使えないから、小城は中盤で使う。デービスのマークは原だろうな」といっていた。
ぼくは、デービスのマークは当然、小城だと思っていて、新聞の予想にそう書いていたのだが、サザンプトンを迎えに行って、羽田空港で、この話をきいたので、あわてて、最終版だけ「小城を中盤にあげるとなると……」と書き直したくらいである。
しかし、ふたをあけてみると、デービスのマークは、やっぱり小城だった。
空港のゲートからでてきたデービスの、がっしりした体格と不敵な面魂を見て、岡野監督も、考えを改めたのではないか
―― と、ぼくは想像している。
■ ミュンヘンへ明るい第一歩
第1戦は1−3で敗れたが、日本チームは予想以上に善戦した。これは、日本チームにとっては、大きな収穫だったと思う。
日本リーグ前期終了の直後で、鎌田、宮本輝ら故障者が多く、しかも、ミュンヘン・オリンピックの予選に備えて、実力的には上のベテランを切って、若手を多く登用している。日本チームとしての練習は、ほとんどしていない、などの事情を考えれば、現有戦力による試合としては、作戦的には、90点以上の試合だったと思う。
もちろん、デービスのような世界の超一流プロとの間には、まだ個人的な力の点で、決定的に厚い壁があるし、二、三の選手の故障でたちまち、チームの編成に苦しむような、トップ・レベルの選手層のうすさが解決されていないことは、別にしての話である。
日本チームの逆襲は、サザンプトンにくらべれば散発的ではあったけれども、ほとんど相手ゴール前までいって、きわどい場面を相手と同じくらい作っていたことに注目したい。
また逆襲のコースが、いくつもあったことも、よかった。
ウイングの杉山が走ってゴール前へあげるのが第一のコース。相手のほうが上背があるから、このコースからの得点はむつかしそうだったが、釜本が完調であれば、もっときわどい場面も生まれただろう。釜本は、この日、右足指を痛め、麻酔を打って出場していた。
第二のコースは、中盤でネルソン吉村がキープして、小畑が縦に鋭く走りこむ方法。釜本の動きと杉山の動きが、相手の守備を引きつけたエア・ポケットに、小畑の走りこむスペースができて、あわや1点の場面もあった。
第三は、みごとに息の合っている吉村 ― 釜本のヤンマー・コンビ。これが後半24分に、日本チームの1点を生んだ。双方の布陣の関係で、吉村が比較的フリーに動くことができたためもあるが、とにかくネルソン吉村が、日本国籍を取得することができれば、ミュンヘン・オリンピックに役立つという見通しは、この試合で、十分開けたと思う。
最後に、山口、小城らバック陣の攻撃参加。相手の前線に、デービス、チャノンという二人の強力ストライカーがいるのに、バックの攻撃参加には、なんの不安もなかった。これは、チーム・ワークのよさを示している。若手が多い編成だったにもかかわらず、このチーム・ワークがよかったのは、日本リーグの各チームの水準が上がったことによるのではないかと思う。そうだとすれば、これは大きな収穫である。
世界のサッカーは、想像以上に厚く、しかも日進月歩だ。ロン・デービスを擁して、なおサザンプトンは、イングランド・リーグの19位である。日本のサッカーが若手への切替えに苦心している間に韓国はじめアジア各国も、着々と強化の手を打っているという情報が、はいっている。
しかし、サザンプトンとの試合は、ミュンヘンへの明るい第一歩だったと、ぼくは思う。
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