ことしの10大ニュースは何か?
(サッカーマガジン1970年12月号)
この原稿を書いている時点では、まだ、ちょっと時期が早過ぎるのだが、12月号だということで、1970年の日本サッカー10大ニュースを選んでみよう。
11月中旬にスウェーデンのユールゴルデンの来日があり、12月にはバンコクで第6回アジア競技大会がある。また全国大学選手権などの行事も残しているが、日本リーグが終わったところでの、お座興のつもり。
あまり固く考えないでください。読者のみなさんから御異議が出てくれば、いつでも変更の用意あり。
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さて、本年の10大ニュースの筆頭は、なんといっても、アジア大会で日本が優勝、待望のアジアNO.1のタイトルを手に入れた…と書きたいところだが、アジア大会は12月だから、現在はまだ結果は分からない。ぼくの見通しでは、日本のアジア大会優勝は、なかなかむずかしく、イランあたりが強敵だろうと思う。日本にとっては、アジア大会よりも、来年10月のミュンヘン・オリンピック予選のほうが重要であり、バンコクよりもミュンヘン予選のほうに焦点を合わせるべきだと、クラーマーさんもいっていた。
とはいえ、アジア大会優勝のニュースが、トップにはいってもらいたい ―― という祈りをこめて、10大ニュースの第1番目の欄はあけておくことにしよう。
(2) 日本代表チームの監督交代と選手の若返り
日本代表チームの監督が、長沼健から岡野俊一郎に代わり、同時に東京オリンピック以来のベテラン選手に代わって、若い選手が次々に起用された。
監督の交代が適当だったかどうかは、まだ論評の時期ではない。前にも書いたけれども岡野新監督が、最初のテストを受けるのは、来年のミュンヘン予選だと思う。新しく良いチームを作るには、時間がかかるからである。
選手のほうは、鎌田、片山、松本などに代えて、荒井、上田などが加えられ、一気に若返った。ぼくは新しいチーム作りは、メキシコ・オリンピックで銅メダルをとった直後にはじめるべきだったと考えており、若返りはむしろ遅すぎたと思っている。若手に国際試合の経験を積ませて、ミュンヘン予選までに一人前にできるかどうか、大いに心配だが、今となっては相当の無理をしてでも、なんとかしなければならない。来年の春と夏に、2回海外へ武者修行へ出したいというのが、岡野監督の考えのようだ。
(3) 東洋工業が日本リーグの王座を奪回
6年目の日本サッカー・リーグでは、東洋工業が三菱重工からタイトルを奪い返し、5度目の優勝をとげた。
じょじょにメンバーを若手に入れ替えながら、常にトップを占め続けている東洋のサッカーの底力には敬意を表するほかはない。しかし、顔ぶれの上からは、それほど強化されたとは思えない東洋を相手に、シーズンを通じて5点しかとれなかった他のチームは、ふがいなさ過ぎるではないか。観客動員数の低下が、試合内容の低下を反映したものでなければ幸いだ。
なお、東洋は1月1日の天皇杯全日本選手権にも優勝しており、“ただいま二冠王” である。
(4) 釜本復調、2度目の得点王
昨年6月に肝炎で倒れてから本調子でなかった釜本が、少しずつ調子を回復してきて、日本リーグでは、14試合に16点の新記録で得点王になった。
昨年10月、ワールドカップ・ソウル予選での敗退の原因の1つが、釜本の欠場だったことを思い出すと、釜本の復調は、12月のアジア大会、来年のミュンヘン予選を目指す日本代表チームにとって心強い。ことしの夏ごろ、釜本はまだ、体力に自信がなさそうだった。しかし、得点王のタイトルは、釜本に自信をつけさせるに違いないと思う。14試合に16点は、今後もなかなか破れそうにない記録である。
(5) エウゼビオの来日
韓国銀行リーグ選抜(1〜2月)、スウェーデンのIFKヨテボリとブラジルのフラメンゴ(3月)、イングランドのサザンプトン(5〜6月)、インドネシアのバルデデテックス(6月)、デンマークのコペンハーゲン03(7月)、そして11月に来るスウェーデンのユールゴルデンと、本当に応援にいとまのないほど、次々に外国のチームがやってきた。こんなに国際試合が多かった年はない。
その中でも、9月のベンフィカ・リスボンの魅力は、すばらしかった。世界のスターであるエウゼビオを、神戸と東京で10万以上の観衆に直接見てもらうことができたのは、大きな収穫だったと思う。
ただし、国際試合が多すぎて弊害もあった。日本リーグの観客動員数の低下の原因にもなっている、外国チームの招待は、マトをしぼって、計画的にやれないものか、それに、協会のPRのヘタなこと。エウゼビオについても、サザンプトンのロン・デービスについても、報道関係に早めに十分な資料を提供すれば、もっと協力してもらえたはずである。ポスターのセンスのなさなんぞは論外だ。
(6) JFA公認コーチの誕生
昨年、アジア各国のコーチを集め、クラーマーさんの指導でFIFAコーチング・スクールを開いたのに続いて、ことしの夏はJFA(日本蹴球協会)主催によるコーチング・スクールが開かれ、27人の公認コーチが誕生した。
公認コーチになった人たちが、肩書きにふさわしい仕事ぶりをするように、また日本のコーチ制度が、うまく育っていくように、期待したい。
ここでも協会のPR不足は話のほかである。だれが公認コーチになったのか、世間に知らせる努力をまだ何もしていない。「次の者は協会で勉強をして実力を認めたコーチです。なにとぞ御利用下さい」とおひろめをして、はじめて公認コーチの制度が生きてくる。関係者と御当人だけが悦にいっているのは、どこかの国の首相の国連総会演説と同じ。
(7) 初の全国中学生大会を開催
中学生の全国大会が、はじめて公然と開かれ、静岡県の藤枝西益津中が優勝した。13歳〜15歳の年代の全国選手権が有益かどうかについては、いろいろ議論のあるところだろうが、全国から集まった中学選手たちが、なかなか、たいしたものであるという点では、多くの人たちが感心した。
この大会 ―― はじめは「全国中学生サッカー・クラブ大会」という名称の予定だったのに、いつの間にか「中学校大会」になって、学校外のサッカー・クラブを締め出してしまった。参加チームの大多数が
“中学校チーム” であってもいっこうに構わないが、せめて「中学生大会」にして、同年齢の少年たち全部にチャンスを与え、社会体育振興とクラブ育成の趣旨に沿うようにしてもらいたい。
(8) 日本代表ジュニアがヨーロッパで武者修行
23歳以下のジュニア・チームをヨーロッパへ武者修行に出せというのは、ぼくの前からの主張だった。本誌上にも、その主張を何度か書かせてもらった。それが遅ればせながら、ことしの夏にやっと実現した。
こういう計画は、1年や2年で成果をみることはできない。毎年続けてもらいたい。協会にお金がないなら、集めようではないか。
(9) ワールドカップを日本の新聞も大きく報道
6月にメキシコで開かれたワールドカップに、日本の新聞社、通信社から特派員が出かけ、毎日の新聞にこれまでにないスペースをさいて、その熱狂的なふんい気とすばらしい技術、戦術を伝えた。テレビの実況中継がなかったのは残念無念だったが、東京地方のファンには、東京12チャンネルが9月から録画で放映をはじめている。“世界のプレー”
が、本格的に日本に入ってきはじめたということができると思う。
またワールドカップの審判員に、日本から初めて丸山義行氏が選ばれたことも、特筆しておかなくてはならない。
(10) 1986年ワールドカップに日本が立候補を検討
ほんとうなら、これはもっと上にいってもいいニュースである。ところが、日本蹴球協会の野津譲会長が思いつきをしゃべったのが、8月2日付の新聞に掲載されたっ切り
―― という形のまま、ほんとうにやる気があるのかどうか、うやむやになっている。
FIFA(国際サッカー連盟)の最近の広報によれば、1986年のワールドカップには、すでにユーゴ、アメリカ、オーストラリア、コロンビアの各国が立候補している。日本も一刻も早く意思表示をすべきである。
16年後の話だが、いますぐスタートを切らないと間に合わない。日本でワールドカップを開くのに賛成の人は、東京都渋谷区神南1〜1 日本蹴球協会 野津譲会長あてに激励の手紙を出して下さい
(※)。
※管理人注:1970年の記事です。激励の手紙を出すのはご遠慮ください。
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