日本リーグに警告する
(サッカーマガジン1970年11月号)
■ サッカーに根をおろしたファン
日本サッカー・リーグの後期のスタートは、奇妙にお天気に恵まれた。
東京では、毎日雨が降り続いたのに、日曜日になると、からりと晴れる。
後期開幕日の東京・国立競技場は、日立−東洋。首位をかけての激突である。
試合開始の前に、リーグの重松良典総務主事が、スタンドを見あげて、こういう。
「どうも、出足が思わしくないなあ、このお天気、このカードにしてはね」
「たしかに、お客さんの数は頭打ちになってきたね。これは考えなくちゃいけないな」
「考えるったってね。ちょっと、手の打ちようがないよ。これは」
この日の観衆は約1万5千。メーン・スタンドは、ほぼぎっしりだし、バック・スタンドも中央部はいっぱいである。6年前の日本リーグ発足時だったら、涙の出るような大入りなのだが…。これを、もの足りなく思うのは、日本リーグの6年間の成長が、あまりに順調すぎたからだろうか。
ただし、1週間後の三菱−日立のときには、ぼくが見解を訂正したことも、つけ加えなければならない。
「スタンドに座って見てるとね。お客さんの質は変わってきたね。三菱や日立がチャンスを作ると歓声をあげる人が多い。地元チームに観客がついてきたのは、前向きの傾向じゃないかと思うね」
観客動員数は、やや減っているが、これは次の飛躍のための足踏みだと思いたい。6年前にくらべれば、各チームのリーグへの取り組み方は、問題なく、本格化しているし、観客も一時のヤジウマではなく、本当にサッカーに根をおろしたものになってきている。
ここで、リーグが運営をあやまらなければ、日本リーグが本格的に伸びていくのは、これからだと思う。
■ よどんだ空気?
ところが、最近、日本リーグの運営ぶりに「積極性がなくなった」と、心配する声が出てきている。
先日、原宿のメキシコ料理の店で、6月のワールドカップに日本から取材にいった新聞社の特派員の会をやった。そのときに、東京と関西のベテラン記者が、期せずして、同じような意見を述べたので、ぼくも前から、うすうす感じていたことが、間違いないんじゃないか、という気持ちになったのである。
たとえば、こういうことである。
6年前に、日本サッカー・リーグがスタートしたときは、日本リーグは、古くさい空気のよどんだ部屋に吹き込んだ、さわやかな風だった。
しかし、6年の間に、部屋の窓は閉ざされ、新しい風は、古い部屋の中によどんで、かびのはえたようなにおいに、なじんでしまったのではないだろうか。
こういうことは、ご当人は、案外気がつかないものである。部屋にはいったときには、「かびくさいな」と思っても、なれてくると鼻がきかなくなってくるからである。それどころか、外から吹き込もうとする風が、なんだか、うすら寒いように感じられて、窓を閉じてしまったりするようになる。
こういうときには、思い切って窓をあけはなち、あるいは、もう一度外へ飛び出して、新鮮な空気をとり入れたほうがいい。
日本リーグの6年間のうち、最初の3年間は “建設の時代” だった。すべてのことが、目新しく、活気にあふれているように思われた。
次の3年は、あるいは “整備の時代” だったのかも知れない。だから、活気がなく、よどんでいるように思われたのかも知れない。
だが、これからは “発展の時代” でなければならない。そろそろ、もう一度、窓をあけ放してもいい。
■ “発展の時代” のための5つの提案
日本リーグの “発展の時代” のために、ぼくは、この紙上で、いくつかの提案をしたい。
提案だけれども、ぼくの気持ちとしては “よどんでいる” 日本リーグに対する “警告” である。
日本のサッカーの恩人であるFIFA(国際サッカー連盟)コーチのクラーマーさんは、日本のサッカーのために、ときどき思い切った提案をする。これは、日本のサッカーの停滞に対する
“警告” なのだが、欠点を並べたてないで「これから、こうしようじゃないか」と、前向きの姿勢で問題をとりあげるところが、気持ちがいい。
ここでは、クラーマーさんのまねをしてみようというわけだ。そのつもりで読んでいただきたいと思う。
提案を項目にまとめてみる。
「そんなこと、できっこないよ」と、頭から片付けないでもらいたい。ちょっと無理だと思っても「なるほどおもしろい。やってみよう」と、口に出していってみてほしい。前向きの姿勢は、まず、そこから生まれる。
(1) 加盟チームを “クラブ組織” にすること
日本リーグに現在はいっているチームの人たちの話をきくと「会社チームとしては」「企業内スポーツのあり方は」という言葉がよく飛び出す。しかし、日本リーグのチームは、そろそろ“実業団リーグ”のしゃぽを脱ぎ棄ててもいいのではないか。
“三菱FC” は、三菱系の会社の援助で作られている “サッカー・クラブ” であると考えるべきではないだろうか。現に
“三菱重工” チームの選手は、全員が三菱重工業株式会社の社員というわけではないのだし、ユニホームの胸には、“Mitsubishi
F.C.” と英語で書いている。
(2) 事務局を独立させること
いま、日本リーグの事務局は、日本蹴球協会の中にあって、リーグの事務を担当している中野登美雄君は、“リーグの職員”
ではなく、“協会の職員” だということである。
ぼくは、事務局の “場所” や職員の “身分” だけを問題にしているのではない。もともと “リーグ”
とは「総当り形式の試合」という意味だけではないのである。「自分たちの試合は、自分たちで運営する組織」でなければならないのだ。日本リーグがスタートしたとき、これが
“自治的な運営組織” であることに、新風のさわやかさがあったのだ。
ただ一人のリーグ担当職員である中野君の仕事ぶりを見ていると、リーグ以外の協会の仕事を随分やらされている。リーグが「自分のことを自分でする」ためには実質的にも形式的にも、自分自身の事務局を持ったほうがいい。
(3) 協会の仕事をリーグが引受けないこと
昨年のFIFAコーチング・スクール以来、協会のやるべき仕事を、実質的にリーグのスタッフが引っかぶっているようなケースが多い。リーグの総務主事として日本蹴球協会の理事になっている重松良典氏に、そのしわ寄せが来て、重松氏はいま実に雑多な
“協会の仕事” を引受けている。協会とリーグは、それぞれ仕事の性質が違うものであり、リーグの発展は、ひとりがかかり切りになってもおかしくないほど、重要な仕事だと思う。
(4) 新しいアイデアを積極的に取り入れること
ここのところ、日本リーグは新しいアイデアに耳を傾けなくなったと思うのは、思い過ごしだろうか。新しいアイデアに対して「規則でできない」というせりふが返ってくるようになったら「官僚化」が、はじまっているといっていい。
たとえば、メキシコ・オリンピックで日本チームが受けたフェアプレー賞の制度を、日本リーグでも採用する案は、棚ざらしのままである。
逆にミニチュア・ボールの投げ入れは、ことしの前期に突然中止になった。事情のあることは分かるが “アイデア”
を棄てるときには実にすばやい。
(5) 外国のリーグ運営組織を視察すること
日本リーグの総務主事は、一度ヨーロッパと南米へ行って、その国の “リーグ” の運営ぶりと、その組織を実地に見てくればよいと思う。西ドイツなら西ドイツだけを見るというのではなく、全国リーグの組織としては古い伝統を持つイギリスやラテン系の国を視察してきてもらいたい。
ただし「事情が違いすぎてダメだよ」と溜め息をついて帰ってくるようでは困る。
1986年には、ワールドカップを日本でやろうという意気込みなのだから、リーグ組織の確立ぐらいは、10年以内に世界のレベルにまで持っていってほしいものである。
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