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日本の大学は専任コーチを置け
(サッカーマガジン1969年11月号)


相手は立派だった

 最近、これくらい失望させられたゲームはない。9月25日、国立競技場で行なわれたイギリスのオックスフォード・ケンブリッジ両大学連合チーム対日本学生選抜の試合である。
 相手の両大学連合チームが、弱かったためではない。弱かったどころか、予想していた以上に立派なチームだった。選手の中に、ラグビーやホッケーをやっている者もいるので、ある新聞に「副業選手にやられるとは情けない」と書いてあったが、彼らは別に “副業選手” ではない。イギリスの学生はひとりで何種目ものスポーツを楽しむというだけのことである。サッカーも、ラグビーも、ホッケーも、彼らにとっては本業でも副業でもない。同じように彼らの趣味であるに過ぎない。
 オックスフォードとケンブリッジの連合サッカー・チームは、“ペガサス” という名前で、FAアマチュア・カップ (イングランドのアマチュア選手権) に出たことがある。最近では公式の大会には出ないということだが、記録を調べてみると、1951年と1953年にFAアマチュア・カップに優勝している。
 来日した顔ぶれの中にも、イングランドのアマチュア代表や学生選抜にはいった者がかなりいる。
 両大学の連合チームは、アマチュアとしては、むしろイギリスのトップ・クラスといってもいい。


せり合いはダメ

 失望したのは、相手のイギリス・チームに対してではなく、日本学生選抜チームの試合ぶりに対してだった。
 この試合の翌日に、関東大学リーグとの記者懇談会があって、ここで、ことしから慶応大学の総監督に就任した二宮洋一氏のお話をうかがう機会があった。二宮氏は、古いサッカー・ファンなら誰でも知っている名選手である。
 二宮氏は、日英学生の試合を見て、次のようにいわれた。
「わたしは、むかしの選手としては、器用なほうだったが、止まったままのボールつきを足やヘディングでやらせたら、いまのふつうの学生のほうがはるかにうまい。ところが、動きながら、あるいは相手とせり合いながらボールを扱うことになると、いまの学生のほうが、むかしの選手にくらべてもダメなんじゃないか。とにかく、きのうの試合を見て、そういう感じを強くした」
 ぼくも、二宮氏とまったく同じ印象を受けた。
 そこで、二宮氏のご意見に便乗して、日本の学生サッカーのアラをさがしてみたい。


“少しは前へ出ろ”

  試合をご覧にならなかった読者のために、状況を簡単に説明しておこう。
 日本学生が先取点をあげ、イギリスがたちまち逆転して引離した試合だけれども、大勢は、はじめからイギリスの一方的優勢だった。イギリスは日本ゴールを包みこむように圧迫し、ゴール前にロビングをあげて、上背を利したヘディングにものをいわせようとした。
 日本の学生チームは、これをかろうじて防いで、ボールを自分のものにすると、となりか、うしろにいる味方と短いパスを交換するが、イギリスの選手に、鋭い出足で激しくせりかけられて、たちまちパスを出すところを失い、苦しまぎれに前線へ浮きダマで、不正確なボールを送る。待ち構えたイギリス選手がヘディングでボールを横どりして、また攻め込む。こういうことのくり返しである。
 スタンドからは、しきりに痛烈なヤジが飛んだ。
「ひとりで抜いてみろ」
「日本、少しは前へ出ろ」
 日本は、なかなか前へ出られない。


日本学生のアラ探し

 日本の学生チームが、前へ攻め込めない原因として、次のようなことが考えられる。
 (1) スターがいないこと ―― 一流チームには、相手の守りを足わざでかわして突破するスター選手が、必ず一人か、二人はいる。ブラジルにペレがおり、日本に杉山がいるようなものである。しかし、日本の学生チームにはスターがいなかった。
 (2) 動いてパスをしないこと ―― 自陣内で二、三度パスをつないでいるうちに、相手の出足に圧迫され、パスは横か、うしろへ行くだけで前に抜けなかった。これは立ったままでパスをつなごうとするからで、ボールを持っていない者が、パスを受けるために動き、パスを出したものは、そのままダッシュして次の動きをしなければならない。こういう動きによって、相手の守備の壁がずれてきて、前方のオープン・スペースヘのパスのコースが開けるのである。
 (3) 相手がいるとボールを扱えない ―― 二宮洋一氏が指摘された通りで、(1)と(2)の原因のひとつはここにある。


練習の三段階

 これについて二宮氏は「クラーマーのサッカーが間違って理解されているのではないか」といわれたが、ぼくもそう思う。
 クラーマー・コーチが、くり返して説いたことに「練習の三段階」ということがある。
 第一は基礎練習。相手をつけずに、止まったままでやる練習。
 第二は応用練習で、動きながら ―― 。
 第三の実戦的練習は、妨害する相手をつけてやる練習。日本の一部の選手やコーチは、クラーマー式練習というと、この第一段階だけを思い浮かべて、第二、第三の段階を飛び越して、試合をやってしまうのではないか。
 そのために、第一段階の止まったままのボール・コントロールが試合に結びつかないのではないか。
 誤解のないようにしておきたいが、第三の実戦的練習の段階に入ったら、第一の基礎練習は必要ないというつもりではない。
 ほんとうは「段階」ということばが不適当なくらいで、一流の選手でも常に基礎練習は怠らないし、少年選手でも試合をする以上は、相手とせり合いながら、走りながらボールを扱えなければ、試合ができないはずである。


専任コーチを置け

 ―― 以上のように書いてくると「なんだ。お前のいうことは、教科書の丸写しじゃないか」
 といわれそうな気がする。
 日本学生選抜に選ばれるほどの選手が、以上のようなことを知らないわけがない。
 知っていて、できなかったことの原因は、ひとつは八重樫監督が試合後述べていたように、若い選手たちに国際試合の経験が不足していることであり、もうひとつは、大学チームのふだんの練習と試合のやり方が、よくないことにあるのではないか。
 ここで、くわしく追求する余裕はないが、若い選手に国際試合の経験がないことは、日本蹴球協会の大きな責任である。ジュニアに国際経験を与えるということは、3年以上前から、このマガジン誌上で、くり返したはずだが、ことしも、ジュニアの海外遠征は計画だけで消え去ってしまった。
 大学チームの練習と試合のやり方を改善することは、大学の関係者に十分考えてもらいたい。ぼくの考えでは、現在、会社勤めをしながら後輩を指導しているコーチに、多くを求めることは無理だと思う。
 大学サッカーが、高い水準を追求し続けるつもりなら、大学がまず専任コーチを置くべきではないだろうか。

 

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