国際試合が目白おし
(サッカーマガジン1969年1月号)
ミュンヘンをめざす日本サッカーの新しい年、1969年は国際行事が目白おし。ファンには楽しい年になりそうだ。
1969年の国際試合予定
1月 アジア・クラブ選手権 (バンコク)
3月 3国対抗 (ソ連、メキシコ来日)、三菱重工、東南アジア遠征
4月 アジア・ユース大会 (バンコク)
5月 ミドルセックス・ワンダラーズ来日
6月 メンヘングランドバッハ (西独) 来日
8月 ムルデカ大会 (クアラルンプール)、日本リーグ・ジュニア選抜欧州遠征
10月 ワールドカップ・アジア予選 (ソウル)
正月号だから、やはり1年の計を語ることにしよう。
サッカー協会 (正式の名前は日本蹴球協会) に行って、日本代表チーム監督の長沼健さんをつかまえた。
ケンさんこと長沼監督 ―― このところ原稿用紙を前に置いてフウフウいっている。メキシコ・オリンピックの報告書をJOC
(日本オリンピック委員会)と協会に出さなくちゃいけない。ほかに「ケンさんの本を出したい」という出版社がいくつもあって、それをやらなくちゃならない。そのほかにテレビの解説あり、「サッカーマガジン」の原稿や座談会あり、日本リーグの仕事あり、そして本業のサッカー協会の仕事として、宿願の「コーチ制度確立」の構想を大至急まとめなくてはならない。メキシコから帰って、まったく休むひまもないのです。
■ 国際試合が目白おし
「大多忙のところを、まったく恐縮だけれど、来年の国際試合の計画を教えてくれない」
「うーむ、3月は前からの計画通り3国対抗があるでしょう。これはメキシコのプロ・チームとソ連のチームが来る予定と
――。これがはじまりだな」
「1月、2月はなにもないの?」
「いや、1月はバンコクでアジア・クラブ選手権がある。これに日本から、はじめて日本リーグ優勝チームを参加させる」
「アジア各国の優勝チームを集めて、アジア最強の単独チームを決めるわけだ。順当なら東洋工業が行くことになるね。それから2月下旬から三菱重工が東南アジアに遠征する」
「うん。これは親善遠征だ。それから4月はバンコクでアジア・ユース大会でしょう。5月には、たしかイギリスから全英アマチュア選抜が来るはずだ」
「ああ、1967年に来たミドルセックス・ワンダラーズだね。小羊をマスコットにしているチームだ。ニュージーランドに行くことになっているので、その途中に寄るんだね」
「6月には西ドイツからメンヘングラッドバッハというチームが来る。これはこの前ヨーロッパに遠征したとき、日本が4対1でやられたドイツの強豪だ」
「これは面白そうだな。夏には、こんどこそ日本代表のAチームがマレーシアのムルデカ大会に行くんでしょう?
日本がムルデカで1度は優勝して欲しいな」
「いろんないきさつのあったところだから……。それより面白いのは日本リーグが、23歳以下のジュニア選抜を編成して、ヨーロッパに武者修行に出す計画をたてている。それから9月にはイギリスの大学連合チームが来るという話ですよ。ケンブリッジとオックスフォードの連合選抜チーム……」
「ところでワールドカップのアジア予選はどうなったの?」
「日本開催はあきらめることになりました。結局10月に韓国でやることになりました。ここで、韓国、日本、オーストラリア、ローデシアのグループから1カ国を選ぶわけです」
「そしてイスラエル、北朝鮮、ニュージーランドのグループから出た国と代表決定戦をやって、1チームだけが、1970年にメキシコの本大会に出られる。日本がこのワールドカップにどのような態度でのぞむかは、ひとつの問題点だな」
「しかし日本代表チームの新しい目標は、4年後のミュンヘンですよ。これははっきりしている」
■ 疑問はないか
―― というわけで、 1969年の日本サッカー界は、これまで以上に国際試合が花ざかりになりそうだ。
だが同時に、このケンさんとの問答の中に、 疑問が起きそうなこともある。 そのうちのいくつかを拾ってみると
――。
(1) 韓国で開かれるワールドカップ予選に日本は出場すべきかどうか。出る以上は優勝を目ざして十分な準備をしなければならないが、それが可能だろうか。その対策はどうなっているのだろうか。
(2) ムルデカ大会に、今年は最強チームを送ることができるかどうか。
(3) 日本リーグがジュニアの海外派遣を考えているというが、若手の主力を占める学生選手については、対策はないのだろうか。
(4) こんなに国際行事が目白おしに並んでいては、日本リーグなど国内の重要な行事の日程が苦しくなるのではないだろうか。
(5) 国際試合が多いのはサッカー協会の “金もうけ主義” の現われではないのだろうか。選手を酷使してもうけたお金は、なにに使われるのだろうか。
■ みんなで意見を出そう
このような問題点について、サッカー協会で、かなり検討はされたらしい。「らしい」というのは、以上の行事予定は、まだ協会が正式に発表したものではないし、またこれまで協会は、自分たちの方針を国民の前にはっきり発表したことがほとんどないからだ。
(これは日本サッカー協会の悪い点だとぼくは思っている)
しかし、日本のサッカーは、日本の国民全部のものだし、日本のサッカー協会は、加盟団体つまり全国のサッカー・チーム、サッカー・マンのものなのだから、こういう問題についても、「サッカーマガジン」の読者のみなさんもどんどん意見を出せばいいと思う。
ぼく自身の意見をいわせてもらえば、国際行事が多いのは必ずしも悪くないと思っている。サッカー界の組織の近代化や底辺拡大に対するキメのこまかい配慮がともなえば、である。
そして、なによりも、ケンさんの、
「目標をミュンヘンにしぼろう」
という提案に大賛成である。
いずれにしても1969年は、ファンにとっては、楽しみの多い年になりそうだ。
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