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『よかったですねぇ!』
(サッカーマガジン1968年12月号)


 これは、銅メダルを日本にもたらした殊勲の長沼監督自身の口から出たことばだ。

「よかったな、よかったなあ」
 これぐらいしか、いうことがない。銅メダルをおみやげに、日本チームが帰ってきたとき、長沼監督の手を握って、ぼくは、ほかのことばが出てこなかった。
 その前に行なわれていた記者会見で、長沼監督は、まじめくさった顔をして、メキシコで健闘できた原因と将来の方針を語っていたのだが、このときになって、はじめて破顔一笑した。
「よかったですねえ。まったく」
 ―― 実にいい。銅メダルを獲得するまでの苦労、心労、いろいろあっただろう。だが銅メダルの成果を誇る前に、自分たちの仕事が日本のサッカー全体の前進を妨げないですんだという謙虚な気持ちがなければ、このことばが、監督自身の口から出ることはなかっただろう。
 メキシコで戦っている間にも、長沼監督の頭の中には、日本全国でサッカーをしている少年たちの姿があったに違いない。東京オリンピックのあと、ここまで盛りあがってきた国民のサッカーへの関心があったに違いない。
「少年たちを失望させなくてよかった。サッカー・ブームに水をささないでよかった。さあ、これからだ」
 長沼監督のこの気持ちが、「よかったですねえ、まったく」のひとことに集約されている。


ひかえめに予想

 メキシコ大会の前に、ぼくはサッカーについては、意識して、ひかえめな予想を立てていた。ベスト8にはいれば万々歳、1勝をあげるのも困難かも知れないということにしていた。
 わかってもらえると思う。ぼくは反動をおそれたのだ。
 6月ごろ、東京池袋の丸物百貨店にいる友人がやってきて、会場を提供するから「サッカー展覧会」をやらないか、といってきた。
「メキシコ・オリンピックを目ざす日本のサッカー展、というのはどうだろう」
「ちょっと待ってくれ。実は日本のサッカーがメキシコで必ずしも勝てるとは限らない。あまりメキシコ、メキシコっていわないでくれ」
「ほかにいいタイトルがあるかい」
「サッカーは世界のスポーツだってことを強調したいな。世界のどこの国でも、いちばん盛んなスポーツだから、オリンピックでひとつ勝つのも、他の競技で金メダルをとるくらい困難だ、ということが、わかってもらえるようにしたい」
 この展覧会は「世界と日本のサッカー展 ―― サッカーは世界のスポーツ」というタイトルで、9月に開催した。ご覧になった方も多いと思う。
 メキシコ・オリンピックのことは、わざとひかえめに扱ったのである。
 ぼくは、日本サッカー・リーグの人にも、こう提案したことがある。
「後期の開幕には、ひとくふうを要するかも知れませんよ。メキシコで負けた ―― 人気もがた落ち、なんて書かれないようにね」
 銅メダルを獲得した現在となっては、「なんと愚かな心配をするヤツだ」と嘲笑されるかも知れない。
 だけど愚かな心配に終って、「ほんとうに、よかった」と思う。


報道関係の反省ムード

 こんな楽屋ばなしを書くと、日本チームの選手諸君からは、「われわれの力をそんなに見くびっていたのか」とおこられるかも知れない。
 全国のサッカー関係者からは
「日本のサッカーの底辺は、それほどそこが浅くはないぞ」
 といわれるかも知れない。
 ぼくだって、日本の実力に絶望していたわけではないし、ひとつの大会の勝敗がどうであろうと、日本でこれからサッカーが、ますます盛んになっていくことに変りはないと考えていた。本誌にも、かつてそう書いたことがあるはずだ。
 ただひとつ、職業がら、ぼくが心配したのは新聞やテレビのサッカーに対する扱いである。メキシコ大会が近づくにつれて、報道関係者の一部にこれまでサッカーを大きく扱いすぎたのではないかという反省めいたムードが出ていたのは事実だ。
 夏のヨーロッパ遠征についていったあるテレビ局では、遠征が連敗続きだったために、内部で批判が出ていたというウワサもきいた。
 もし、メキシコで惨敗していたら、その反動は、ジャーナリズムの上に、いちばん大きく出たに違いない。
「こんどのサッカーの銅メダルを、いちばん喜んでいるのはだれでしょうか」
 という質問をよく受ける。
 サッカー協会の古くからの役員選手たちを育てた各地の先生やコーチの方々、クラーマーさん、日本リーグの人たち…… いろいろな人の顔が浮かぶが、いちばんホッとしたのは、サッカー・ジャーナリズム、つまりぼく自身ということになるから、この質問には、笑って答えないことにしている。

 

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