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サッカーマガジン 1970年8月号
牛木記者のフリーキック

南米のサッカーを知ろう!

■“イングランドはワールドカップを盗んだんだ!”
 からっとしているけれども、日中は、かんかん照りで、かなり暑い。通りの中央にパルメイラスの並木があり、スペイン風の白い家が続いているが、町全体には、フランス風のにおいもする。
 ワールドカップの第一の焦点、イングランド対ブラジルの行われたグアダラハラ市は、そんな感じの、小ぎれいな町である。
 決戦の前の日に、この町でタクシーを拾ったら、運転手が珍しく片言の英語をしゃべった。
 「あしたは、ブラジルの勝ちですよ、だんな。もともとブラジルの方が強いんだ」
 「ほほう」
 「66年の大会では、イングランドがワールドカップを盗んだんですよ。本当は、ラテン・アメリカのものだったんだ」
 「そりゃ、なぜ」
 「新聞に書いてありましたよ。あのときイングランドは、ずっとウェンブレー・スタジアムに居すわって試合をしたんですよ。南米のチームは、あちこち、たらいまわしにされたのにね。こりゃ、不公平じゃないですか」
 「なるほど」
 「それに審判がひどかった。ひどいファウルを見のがすものだから、ペレは負傷して出られなくなっちゃった。アルゼンチンのラチンっていうキャプテンは、なにもしないのに退場させられちまった。知らないんですかい。だんな」
 「知ってるよ」
 「あしたは、そんなことはない。ここはメキシコですからね。メキシコは、だれに対しても公平なんだ。審判にだって無茶苦茶は、させやしない」
 運転手君のいうことはオーバーだけれども、前回のワールドカップに対する中南米の人の感情を代表しているように思われた。

■南米独特の“お祭り”
 次の日、ご承知のようにブラジルは、1−0でイングランドを破った。同じ日にメキシコ市ではメキシコが勝ったこともあって、その夜のグアダラハラ市は、これも御承知のどんちゃん騒ぎだった。
 翌日の英字新聞を見ると、グアダラハラの群衆が、イングランド・チームの宿舎の前に行って騒いだので、イングランドの選手たちは、一睡もできなかったと苦情をいっていると書いてある。
 ぼくが、メキシコ市に行って、遅れて日本から着いた長沼健さんに会ったら、多分その新聞を読んだのだろう。
 「ひどいことをするもんですねえ。クラーマーさんも、これは犯罪だといってましたよ」
 と、ふんがいにたえないといった口調だった。
 ぼくは、グアダラハラ市で、お祭り騒ぎの現場のただ中にいた経験からみて、健さんの(あるいはクラーマーさんの)感じ方には、かなりの誤解があるように思った。
 グアダラハラ市の民衆は、特にイングランドをやっつけるためにその宿舎の前に行って騒いだわけではない。「ブラジル、チャチャチャ」「メヒコ、チャチャチャ」の叫びは、市内の至るところにあふれていた。それは、ラテン・アメリカ独特のフィエスタ(お祭り)の一環だったに過ぎない。
 その夜、イギリスの応援団も、大きなユニオン・ジャックを振りかざして、群衆に、口笛でやじられならも、お祭りの中を練り歩き、残念会をやっていたくらいで、グアダラハラの群衆を責めるなら、イギリスの応援団だって同罪である。
 また、次の日の午前中にブラジルの宿舎にいったら、前夜の残党が、まだジープに鈴なりになって来ていて、門の前で「ブラジル、チャチャチャ」とやっていた。宿舎の前で騒がれたのは、ブラジルも同じことなのだった。
 ただ、イングランドが、町のどまん中のヒルトン・ホテルに泊まっていたのに対して、ブラジルは郊外の“スイテス”を借り切っていた。この“スイテス”というのは、貸し別荘のようなもので、ブラジルが借りていたところは、門がせまく、奥の方が広くなっていて。門の前でいくら騒がれても選手たちには影響がないような構造になっていた。
 同じラテン・アメリカのブラジルは、大会中に、どんな事態が起きるかを、ちゃんと知っていて、それに応じた宿舎を借りていたわけである。
 「よい準備をしたものが勝つっていうでしょう。ブラジルの方が、よい準備をしていたわけですよ」と、ぼくは健さんにいった。
 「そうかなあ」
 というような顔を、健さんはしていた。

■二つの“サッカーの世界”
 こういうような話を、ワールドカップを取材していて、たくさん経験した。つまり、ヨーロッパとラテン・アメリカの違い――世界を二分する二つの“サッカーの世界”の間に横たわる大きな溝と、そのために生まれる数多くの誤解、というようなものである。
 フィエスタに対する感じ方の違いのように、風俗習慣の違いから生まれる誤解もある。ホテルの窓から、にがにがしげに、この騒ぎを眺めていたのでは、永久にこの誤解はとけないだろうと思う。
 審判をめぐって生まれる問題のように、サッカーそのものの技術的な解釈の違いもある。FIFA(国際サッカー連盟)は、今回のワールドカップを通じて、ルール解釈を世界的に統一するために、ずいぶん努力したけれども、まだ根本的に統一されるには、はるかな距離がある。
 ヨーロッパは正しく、南米は間違っているというような態度では、この問題を解決することはできない。公平にみて、南米の人たちのいい分に一理があるケースも、少なくはない。まして、風俗習慣、気風の違いから来ているような問題について、一方の考え方を他方に押しつけようとすれば、溝はますます深くなるばかりである。

■南米のサッカーが勝った
 日本のサッカー界は、どちらかといえば、イギリスやドイツの影響を強く受けていて、ラテン・アメリカのサッカーに対する理解がたりないのではないだろうかと思われる。
 決勝戦のあとの記者会見で、ブラジルのザガロ監督に対して、こんな質問が出た。
 「ブラジルの勝利は、ラテン・アメリカのサッカーの優位を立証したものだと思うか」
 ザガロ監督は、慎重に、しかしはっきりと答えた。
 「少なくとも、今回のケースについては、その通りです。なぜなら、ブラジルはラテン・アメリカに属しているのだから――」
 ヨーロッパ一辺倒になりがちな、日本のサッカー関係者のために「南米のサッカーを、もっと理解しよう」と強く主張しておくことにする。


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