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サッカーマガジン 1970年6月号
牛木記者のフリーキック

スポーツと八百長

 プロ野球の黒い霧が問題になっているが、サッカーも世界の人気スポーツだけに、暴力団からねらわれる心配が、十分ある。
 トトカルチョで、ひともうけをねらった暴力団が、某チームのゴールキーパーに誘惑の手を差しのべた。
 「来週のミラノとの試合はよう、ひとつ3−1で負けてくれよな」
 「そ、そんな……。思うようにうまくは、いきませんよ」
 「なにいってるんだ。簡単じゃんかよう。ほら、先週の試合で3点とられたろ。あれ、もう一度やってくれよ」
 ゴールキーパーは、あわてていった。
 「でも、わざとやれば、6−1になっちゃいます」


 一生けんめい防いでいても、3点くらい、たちまち、とられてしまうのが、サッカーです。逆に「さあ、どうぞ。お入れ下さい」といわんばかりのフリーのシュートを、釜本君だって、はずしてしまうことがある。だから、八百長なんて、できそうでいて、なかなか、できるものでは、ありません。
 プロ野球の西鉄ライオンズにいた永易投手が、八百長を告白したのがきっかけで、あやしいといわれる選手の名前が、次から次へと新聞紙上に登場しました。実際には、八百長をしようとして失敗したケースの方が多かったようですが、プロ野球に対するファンの信頼を傷つけたことは、ひどいものです。
 プロ野球ばかりじゃない。「スポーツというものは、あんなものさ」と思う人が、世間に、たくさん出てきました。困ったものです。
 「外国じゃ、プロ・サッカーが、すごく盛んだし。トトカルチョサッカーくじ)も公然とやってるんだから、八百長も多いだろうね」
 と、きく人がいます。
 この質問には、間違った考え方が、二つ前提になっています。

プロ・スポーツに 八百長はつきものか?
 間違った前提の一つは、「プロ・スポーツが盛んだから、八百長があるだろう」という考え方です。
 永易事件でも、「プロ野球は、ショウなんだから、八百長があるのは当然。面白い試合をしてみせて、ファンを楽しませればいい。八百長がないと思っている方が間違いだ」という意見が出てきました。スポーツが専門の、一流の大学の先生が、新聞紙上にそういう談話をのせています。
 ぼくは、プロ野球とプロレスとは違うと思う。プロレスは、演出されたショウであって、純粋のスポーツとは違います。しかし、プロレスは、“八百長”では、ありません。
 歌舞伎の舞台で切腹した役者が、翌日の舞台に、生き返って現れて、もう一度切腹してみせたら、観客は「八百長だ!」と叫ぶでしょうか。これは“芸”であって、“八百長″では、ありません。プロレスは、そういうものです。
 だが、プロ野球は違う。少年たちが、町の広っぱでやっているのと、同じゲームが、後楽園で行なわれているのです。王や長島の上に、全国の少年ファンの目が注がれているのです。
 少年たちの野球が、遊びでありながら、教育の一環であるように、プロ野球は、ショウでありながら、少年たちの模範として世の中の役に立つものでなければ、ならないと思います。
 サッカーの場合は、このことはもっと、はっきりしています。野球の場合は、プロ野球とアマチュア野球が、別の組織になっていますが、国際サッカー連盟(FIFA)は、プロもアマチュアも、同じように統制しています。「プロだから、ルーズでもいい」という考えは、はいり込む余地がありません。

トトカルチョで八百長はあるか?
 「トトカルチョを公然とやっているから、八百長が多いだろう」という考えも、間違っています。
 ぼくは、ギャンブル賛成論者ではありませんが、ギャンブルを全面的に廃止するのは、現実的でないと考えています。ギャンブルを全面的に禁止すれば、1920年代のアメリカの禁酒法みたいなことになるでしょう。暴力団が、絶好の財源として、非合法のギャンブルに目を向け、スポーツにも、魔の手を伸ばすでしょう。
 永易事件は、野球とばくが、非合法だから起きたといってもいい。イタリアのトトカルチョやイギリスのフットボール・プールは、“公然と行なわれている”から、かえって、八百長事件の起きる余地が少ないのです。
 サッカーくじで、もっとも広く行なわれているのは、引分けを当てるやり方です。
 たとえば、その週に行なわれる試合のリストの中から、引分けになると思う7〜8試合に印をつけるという、やり方があります。サッカーは相手のあることだから、もちろん勝つのは、むずかしい。いちばん、はじめに書いたように思うように負けるのも簡単ではない。まして引分け試合を作るのは、1人や2人を買収したところで、どうにもなりません。8試合の引分けを作為的に作るなどは、神わざです。
 さらに、イギリスでは、昨シーズンから、パンサーズという新しい方法が採用されています。これは得点のある引分け試合と無得点の引分け試合によってポイントが違うというやり方です。こうなると、ますます、買収で八百長を成功させることは、不可能になります。
 こういう、大がかりな“サッカーくじ”は、公営か、公認の会社組織でやるのでなければむつかしいでしょう。また、町のタバコ屋でタバコを買うのに同じように、気軽に“サッカーくじ”が買えるのであれば、なにも、うしろ暗い思いをして、暴力団の胴元に、お金をかける必要はありません。
 というわけで、「プロ・サッカーが盛んで、サッカーくじが公然と行なわれているヨーロッパで、サッカーの八百長は、ほとんど起きないのです。
 ぼくは「サッカーでは、八百長事件は起きない」と主張しているのではありません。
 以前に、共産圏のある国で、サッカーの選手を買収して、八百長をさせようとした事件が摘発されたことがあります。
 そのとき、この種の事件が再発しないようにする最も適切な方法はなにか、という議論が出た中に、「共産圏の国であっても、プロ選手制度を導入して選手の生活を安定させ、サッカーくじを公営にして、非合法のギャンブルにつけ込む余地を与えないことだ」という意見がありました。
 現在、共産圏の国でもサッカーくじが公営されていますし、事実上、プロ選手を認めている国もあります。
 ぼくは、八百長をなくすために“トト野球”を日本でもはじめようといい出すつもりは、ありません。しかし、「プロはけしからん、ギャンブルはけしからん」という考え方だけでは、八百長事件を割り切ることはできないことを、この機会に指摘しておきたいと思うのです。


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