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朝鮮と中国のサッカー (1/2)
(サッカーマガジン1972年8月号


 日本からの初のスポーツ・チームとして習志野のサッカー・チームが5月に朝鮮 (チョソン) 民主主義人民共和国を訪問した。このことは先月号で紹介したが、この友好訪問にスポーツ記者として同行して、チョソンと中国のサッカーを取材する機会を得たのは、ぼくにとって非常に貴重な経験だった。というのは、この二つの国を日本のサッカー記者が直接取材したのは、今回がはじめてだったからである。となりの国の、もっとも大衆的なスポーツの様子が、ほとんど知られていないのは残念なことである。先月号では習志野サッカーのチョソン訪問の様子を紹介したので今月号では、チョソンと中国のサッカーについて、くわしく報告することにしたい。


走りながら正確に

 先月号でお知らせしたように、習志野サッカー・チームは、チョソン (朝鮮) では、3試合して全部完敗だった。6対0、5対0、2対0と合計13点をとられて、こちらは1点もとれない。習志野はこの3月に卒業したOBを主力に編成されており、1月の全国高校選手権大会で優勝した当時の習志野高チームと同じ顔ぶれである。はじめての海外旅行による疲れ、大観衆の前での試合、エースの大野正明君を負傷で使えなかったこと…などのハンデはあったけれども、それにしても日本とチョソンの高校サッカーの水準に、大きな差のあることは明らかだった。
 チョソンのサッカーのどこが強いのか? 第1戦に6−0で敗れたあと、西堂監督は「まるで赤い稲妻だな」と相手の走力と体力にかぶとを脱いだし、主務として同行したサッカー部長の市川先生は「白頭山の虎と飼いネコだよ」と闘志の違いを嘆いた。
 たしかに、走力、体力、闘志の三つは、チョソンのサッカーの基本的な特徴である。
「チョソン民族は、体格ではヨーロッパに劣るし、足わざでは南米のサッカーにまだ及びません。しかし、よく走って、ねばり強く、最後までがんばることができるのが、わが民族の特徴ですから、その特徴を生かしたサッカーをやろうとしているのです」
 と向うの人が説明してくれた。
 チョソンでは「サッカーは第一に走ること、第二に正確にけること、第三に戦術」といわれているそうだが、この言葉は、チョソンのサッカーの特徴を、よく示している。
 とはいっても、チョソンのサッカーを「徹底的なキック・アンド・ラッシュ」というように考えたら、大きな間違いである。
 この言葉は「ただ、けって走ればいい」という意味でもなければ「戦術はたいして重要ではない」ということでもない。サッカーで大切な三つの要素をとりあげたもの、と考えた方が正しい。特に第二の「正確にけること」の “正確に” を省略して「第二にけること」とやってしまっては、大きな誤解を招きかねない。
 チョソンでの3試合が終わったあと、5月24日に、ピョンヤン (平壌) の下町にあるトンピョンヤン (東平壌) 競技場において、習志野チームとピョンヤン高等運輸技術学校チームとの合同練習会をした。
 最初の30分間は、西堂監督の指揮で両方の選手が日本式の練習をする。
 次の30分は向うの監督さんの指揮でチョソン式の練習をする、そして最後に試合、というようにやったのだが、ここで完全にはっきりしたのは「正確にけること」の差である。
 チョソン式の練習は、走りながら縦にパスをつないで、次に横に大きくゆさぶる形式のフォーメーションが主だったが、縦一列になって走りながらパスを送るとき、日本選手の出すパスは、前方の相手にうまく渡らないで、右にそれたり左にそれたりするのに、チョソンの選手の出すパスは、確実にねらったところに行く。また、後方からのパスを走りながら受けて処理するのも、間違いなくチョソンの選手の方がうまい。おたがいに入りまじっての合同練習だから、この個人技の差がひどく目立った。
 そういうわけで、日本とチョソンの高校サッカーのもっとも大きな差は「走りながら正確にボールをけること」にあったと、ぼくは思う。


ゾーン・ディフェンス

 習志野のチームがチョソンで完敗した原因の一つに、チョソンのチームのゾーン・ディフェンスの網を破れなかったことがある。日本のサッカーでは、ゾーンで守るチームはほとんどないから、習志野の若い選手たちが、まごついたのも無理はない。
 敗因として戦術面のことを、取りあげると「じゃあ、戦術をうまくやれば勝てたんだな」と誤解されそうなので心配なのだが、走力、体力、個人技とも、日本の高校サッカーの方が劣ることは前に書いた通りである。それでもなお、戦術面の話題をとり上げるのは、このゾーンの守りが、日本では、まだ、ほとんど理解されていないからである。
 習志野サッカー・チームは、チョソンからの帰りに中国に立ち寄って、3試合をした。中国でも相手チームの守りは、ゾーンだった。中国では北京体育学院のコーチをしている張宏根先生の話をきく機会があったので、守備のやり方について質問したら「中国のサッカーでは、マンツーマンもゾーンもやりますよ。場合によりけりです」と笑っていた。しかし、はじめて対戦する日本のチームを相手にゾーン・ディフェンスをしたことは、これがかなり中国では一般的なやり方であることを示している。ちょっと付け加えると張先生は、元中国代表の名センター・フォワードで、1957年に中国遠征をした日本代表チームと試合をした北京市代表メンバーである。平木隆三コーチなどは、当時選手として悩まされた覚えがあるだろうと思う。
 チョソンでは、かつて東京教育大学のセンター・フォワードとして活躍し、1961年に帰国したリー・ドンギュ (李東奎) 君が、体育指導委員会の指導員をしていて、いろいろ世話をしてくれた。そのリー君の話では「チョソンでは中学のチームでも、ほとんど4・2・4システムが基本で、守備ラインはゾーンですよ。習志野のようなスイーパーを置いたマンツーマンの守りは、あまりやりません」ということだった。
 説明するまでもないと思うが、ここでいうゾーン・ディフェンスは、4バックスによるゾーンの守りで、むかしの2バックスのゾーン・ディフェンスとは、かなり違う。おたがいにカバーし合って守ることは同じだが、2バックスの場合は、逆サイドのフルバックはかなり下がって深く守るものとされていたのに対し、4バックスの場合は、守備ラインが比較的浅く、横一線に近い、ワールドカップでおなじみのブラジル・チームの守りと同じやり方である。リー君は「チョソンで、こういう守り方をするようになったのは、1958年のワールドカップで優勝したブラジルの4・2・4を学んだときからだと思います」といっていた。
「スイーパーによる守りには、大きな欠点があります」とリー君はいう。
 一方のサイドから攻め込んで、相手のスイーパーをつり出したら、手うすになっている逆サイドへ大きく振る。そこへ中盤やバックから攻めあがった選手が加わったら、スイーパーの守備では、どうしようもないじゃないか、というのである。
 習志野チームは、このようなやり方で手ひどくやられた。もちろん敗因は、これだけではないけれども、日本ではゾーン守備についての認識がうすいだけに、この点はもっと研究してもらわなくてはならない。

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